今日は恵山の名物・お菓子の油酥についてその後半についてご紹介します。
恵山のふもとに油酥を作る朱順興という店の名前は無錫市民と観光客だけでなく、先祖を参拝にくる人々の間で広く知られています。油酥を買って、恵山の頂にあるお寺に行き参拝することは、現地の人々の習慣となっています。
恵山油酥の名前は何回も変わったそうです。
朱錫璋さんは「最初、宮廷では油が多い重油菓子と言いましたが、その後、お寺の金剛(こんごう)力士(りきし)のお臍とよく似ているため、『金剛力士の臍』と言い換えました。文化大革命の時、今の恵山油酥となったのです」と述べました。
母親の袁仁燦さんの指導を受けた朱錫璋さんは数ヶ月間の努力を通じて、店のイメージを昔のように回復させ、買い求めるお客さんの数も大幅に増えました。半日で油酥を50キロ以上売ったこともあります。
油酥が人々を魅了する原因について、朱錫璋さんは、ひとつは原材料が良いこと、もうひとつはすべて手作りだというこの二つの原因を挙げました。
朱錫璋さんは「小麦粉や油、砂糖は主な材料です。この他、紅瓜や緑瓜、みかんの皮なども使っています。表面にゴマを振ってからレンジに入れ、約十数分間で出来上がります」と述べました。
今、朱錫璋さんの娘・朱碧芳さんは3年前、揚州大学を卒業して無錫に戻り、家業を受け継ぎ、11代目の継承者になりました。油酥の味を人々の口に合わせるため工夫に工夫を重ね、できたものは広く喜ばれています。
朱碧芳さんは「恵山油酥を作る時、よく油と砂糖を使っているので、今の人々の口に合いません。そのため、まず、油と砂糖の量を減らしました。中身を作る時、塩を入れて、お菓子の味を塩味にします。この他、金木犀や金柑などをすこし入れています。その味は以前より美味しくなりました」と述べました。
朱碧芳さんは他の女の子と同じように、きれいな服を着て、大きな会社で働くことを望んでいました。今彼女はかつての夢を捨てて、お父さんが苦労してやってきた100年の歴史を持つこの店の更なるイメージアップに全力投球しています。
朱錫璋さん一家の努力により、恵山油酥の種類はこれまでの2、3種類から現在の20種類以上になりました。朱碧芳さんの家には、100年前の朱順興という名前の看板や、その当時の道具などが飾られています。朱さんは代々守ってきたこのお菓子を作る技術を継承していこうと努力を重ねています。
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