ローランはその昔、シルクロードの古い国でした。紀元前2世紀の漢の時代に、ローランはユーラシアとヨーロッパを繋ぐ貿易の中心地として非常に栄えた豊かな国でしたが、紀元4世紀、ローランは突然、消滅しました。その原因は今でも謎です。1900年にスウェーデンの探検家・スウェンホディン氏がタクラマカン砂漠の東側にあるロプノールでローラン古城の遺跡を発見しました。その後、多くの考古学者がここで考古学の研究を行っていますが、これと同時に、遺跡をあばいて文物を盗む不法侵入者も多く存在します。これらの不法侵入行為を取り締まるため、2003年、この「死の海」と呼ばれるロプノールでローラン文物保護センターが設立され、たくさんの人々が文物守護者として遺跡を昼夜兼行で見守っています。
ローラン文物保護所の職員・孟捍高さんは「98年から2002年の間に、百箇所以上の古墳の文物が不法侵入者に盗まれた。その現場を見て私たちはひどく心を痛めた。そしてこれらの文物を保護するために、2003年、ローラン古墳が集中するこの地域に文物保護所を設立した」と話しました。
文物保護所が設立されてから、保護所の職員達は毎日、100平方キロメートルにわたる古墳集中地帯を2回パトロールし、異常な状況を発見すれば、直ちに衛星電話で県の警察署に報告します。上級の部門の指導者らは文物保護所の職員に対し、窃盗犯と直接衝突を起こさないよう言いつけましたが、文物を守るために、文物守護者である職員達はしばしば自分の安全を顧ず、窃盗犯と直接対峙することもあります。
関係筋によりますと、ローラン文物保護所が設立されてから、ローラン文物保護所の職員が取り締まった窃盗グループは5組に達し、窃盗団の不法侵入を四度にわたって阻止し、追い出しました。
また、昨年の末に設立された若羌県博物館の収蔵品の80パーセントは保護所の職員が収集したものです。文物保護所が設立されてから、文物を隠匿した従業員は1人もいません。職員達はみんな自らの職務をしっかりと守り、ローラン古城の守護神という称号に恥じない者ばかりです。
孟捍高さんは「これまで、戦争などで多くの文物が失なわれてきたが、これからは私達がきっとローラン古城の文物をしっかりと守ります」と話しました。
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