オリンピックイヤーと私
鲍家翔
オリンピックがある2008年、中国の人々にとって、深い意義を持っている一年です。世界に北京のいい印象を持ってもらうため、皆が一生懸命頑張っていました。その中の一員として、私が体験したことを書きたいと思います。
ちょっと残念なのは2008年が来る前に、私は交換留学生として、日本に行ってしまったことでした。ただし、今考えて見ると、少しも残念なことではありません。それはオリンピックをむかえるための、心の準備ができたことです。
2001年オリンピックが北京でやることに決まった時、私も少しは興奮したけど、皆が何故そこまで盛り上がるのか、さっぱりわかりませんでした。しかし、日本にいた間、少しづつわかってきました。自分の国を全面的に理解するには、他の国に行かなければならないという言い方がありますが、私はこれに賛成です。国と国の文化や習慣や地理的状況が随分違うので、一つの問題に対して、見方が全然ちがいます。例えば、日本の友達は「中国は何故建物でも道路でもでかいものばかり作るの?無駄じゃないの?」と私に聞いてきましたが、私は中国に行けばすぐ分かるよ、人が多いので、広さがなければ、人間の生きる空間もない、だからそうしなければならないと答えました。
今までの中国は外国を理解するために一杯勉強しました。しかし、それは一方通行ではダメで、他の国にも中国を理解してもらわなければならないと思います。そうしなくでは、誤解が必ず生まれます。オリンピックみたいな大きなイベントで、中国を理解してもらうことは、丁度良いチャンスです。
今の中国は以前より大分変わりました。オリンピックのおかけで、皆によい印象を持ってもらうことが出来ました。以前の中国は経済が先進国より、かなり遅れていました。このため、多くの人は豊かな生活を求めて、外国へ行ってしまいました。しかし、外国の生活は彼らにとって、楽ではないと思います。国が貧しいことで、彼らは他の外国人と比べて、地位が低く、その国の人より努力しなければ生活ができません。
留学した時に、何人かの中国人の先生とあったことがありました。その中に日本国籍を取った中国人の先生がいました。初め私はそういう人がすきではありませんでした。中国人なのに、何故自分の国籍まで変えるのか?中国人で何故悪いのか?私はとても不満に思いました。しかし、後で友人から聞いた、この先生のなまえには「自分の根本的な志は中国にある」という意味の言葉を使っていました。その時、彼に対する印象は全く変わりました。彼は自分の国、自分の根源を変えたくないんだ!その時彼のどうしようもない悲しみが感じられました。
私は幸いなことに、日本のテレビ局のオリンピック取材を手伝う機会を得ました。そのときには、さっきの先生のように長年外国で頑張って暮らす中国人達の事も考えながら、一生懸命オリンピックを取材しました。鳥の巣の雄大さも、水立方の綺麗さも、選手達の頑張りも、ボランティア達の熱心さもすべて私を感動させてくれました。自分はラッキーだと思います。この歴史的な瞬間を自分の目で確かめることが出来ました。これからは、北京オリンピックをきっかけに動き出した新たな中国の歴史を作るために、私もその力の一つになりたいと思います。北京オリンピックの聖火は消えましたが、中国の発展を望む希望の聖火はこれからも燃え続けて行くと思います。
| ||||
© China Radio International.CRI. All Rights Reserved. 16A Shijingshan Road, Beijing, China. 100040 |