長島勤は1888年に日本の埼玉県に生まれました。1938年12月に中国に渡り華中派遣軍特務部に所属しました。1942年4月に旧日本陸軍第59師団第54旅団長となり、1945年8月22日に朝鮮の咸興でソ連軍に逮捕されました。
その供述によると「1942年4月から1945年7月の間、合計15回に及ぶ作戦で、中国の軍人1660人と庶民970人を殺害、民家2220棟を焼却破壊、軍人970人と庶民250人を逮捕、食料6000トンを略奪」、また「殺害の方法としては、銃殺のほか、刺殺、斬殺、斬首、焼殺、絞殺、ガス利用など残虐極まりない方法も使用。捕虜もよく殺していた」としています。
このほか「1945年2月上旬、111大隊は私の命令で、東阿県馬家海子で負傷者や捕虜7人を刺殺した。1942年7月に莱蕪県九頂山で、110大隊はガス弾で庶民15人を殺害した」としています。(閣、吉野)
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