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 CRI、ルーツを訪ねて延安の旅を開催

2011-11-08 21:20:54     cri    
 1941年12月3日、延安新華放送局日本語放送は、陝西省延安のヤオトン(洞窟住居)から第一声が発せられ、中国の対外放送事業がスタートしました。こうして中国国際放送局の前身が誕生したのです。この日を記念して、中国国際放送局は11月8日に、王皮湾にある新華放送局の旧跡で記念式典を行い、日本語放送旧跡の除幕式を行いました。

 中国国際放送局の王雲鵬副局長、中国共産党延安市委員会常務委員である馮継紅副市長、ならびに国内外からの百名以上の賓客が参加しました。

 王雲鵬副局長は除幕式の席上、「歴史を顧みることは歴史を銘記するためだ。歴史はわれわれを啓発し、励ましてくれている。今日、中国国際放送局は延安に戻り、王皮湾に戻り、ルーツを尋ねた。先人を追想することは、放送事業に携わった先輩たちの刻苦奮闘や理論と実際との結合の精神、そして絶えず開拓し革新してきた延安精神を広めることになり、中国人民対外放送事業のより良い未来を切り開くことになる」と語りました。

 中国国際放送局は1941年に始まった唯一の日本語放送から現在では61の言語を使って全世界に放送するようになり、伝統的な短波ラジオ放送から新聞、放送、テレビ、インターネット、ニューメディアを兼ね備える現代的な総合国際メディアに発展しました。対外放送から国際放送に深く進化した中国国際放送局は一貫して、報道と番組を通じて中国の各国人民への深い友情を伝え、平和と正義を求め、守ることを訴え、さらに様々な文化を重要視し、尊重する姿勢を貫いています。

 メディア関係者の傅穎さんは中国国際放送局を代表して、大会で次のように語りました。

 「抗日戦争時代に誕生した中国国際放送局の日本語放送は戦争の最前線で活躍し、反戦と抗日の宣伝に力を尽くしました。そして、当時の解放区で生活していた日本人女性―原清子さんが、日本語放送の最初のアナウンサーになりました。中日両国の放送関係者は想像を絶するほどの困難を克服し、ともに協力して両国交流の中でも特別な歴史を作りました。70年の歳月が流れ、国際放送局は日本人が中国を理解する重要なルートになり、電波を使った両国の架け橋となりました。先駆者たちの努力は一つの時代を光り輝かせました。現在、私たちは知恵と能力を発揮して、中国国際放送事業をさらに発展させるよう努力しています。」

 中国国際放送局の日本人記者―吉野綾子さんは、「正直、こういう山の中で放送が始まったということにとても驚いています。今はよく整備されていますが、当時は大変厳しい環境の中で仕事をしていたのだと思います。」と述べました。

 また、式典に出席した代表団のメンバーたちはともに、「私たちの声」という詩を朗読し、中国国際放送局全員の心の声を表しました。「今日、私たちはここにやってきた。われわれは永遠に、『国はわれわれの魂であり、人民を本位に、責任を大事にして、使命を優先する』ことを心の中に刻みます。今日、私たちはここにやってきた。われわれは先輩たちの後につづき、時代のテンポに合わせて、大衆とともに、中国の心を世界に伝えるように力を尽くします」(オウギ、小野)

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