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四川大地震の取材で最も印象に残ったこと
   2008-06-23 18:41:12    cri

あなたはだれ?ヤオミン選手ですか

ヤオミンお兄さん、昨日興奮して眠れなかったよ

 四川大地震の取材を終えて、先週の金曜日、北京に戻ってきました。先月の18日から今月の13日まで3週間ほど成都に滞在しました。四川大地震が起きた後、CRI・中国国際放送局は4回にわたって20人ほどの記者を派遣しましたが、私はその第二陣のメンバーとして行ってきました。

 成都から帰ってきた翌日の14日午前、日本では、岩手・宮城内陸地震というマグニチュード7.2の大きな地震が発生しました。それから、毎日、インターネットの日本語のホームページで、関連情報をチェックしました。ガスも電気も水道も途絶えた住居に戻りたくてももどれない年配の方がいらっしゃることや、強い余震が多かったことなど、色々と情報が伝わってきます。現地では、今はまだ余震も頻発して、不安な毎日を送っている方も多いようですが、一日も早く、復興への道のりが始まることを願っています。

 ところで、四川での取材は、最初は日本の緊急援助隊や医療チームの活動振りについての報道がメインでしたが、その後は、都江堰、綿陽の北川、平武、ブン川の映秀にも行き、また、パンダの保護センターのある臥龍にも行ってきました。

 色々取材してきましたが、一番印象に残ったのは被災地の子供達のことです。

 四川省の省都・成都市の郊外には、四川大地震の被災者が集まる「愛心家園」(愛の園)という避難所があります。ここには、都江堰、青川、ブン川、徳陽などから来た被災者743人が入っています。その内、100人ぐらいは未成年者です。

 6月1日は子供の日でした。「愛の園」は、子供たちがこの日を楽しく過ごせるようにと、スペシャル・プログラムを用意していました。このプログラムとはつまり、バスケットボールのヤオミン選手がアメリカからここの子供たちに電話をかけ、励ましの言葉をかけるというものです。

 ブン川のゼンコウ中学校二年生の郭勇君は最初、半信半疑でしたが、「ヤオミン選手と本当に話せたら、足の怪我はどうなっているかと聞くつもりだ」とうれしそうに語っていました。

ええ、本当にバスケットボールをくれるの

ヤオミンお兄さん、もし質問に何か失礼なところがありましたら、許してくださいね

 6月1日の午前10時ごろ、ヤオミン選手が本当にアメリカから「愛心家園」の子供に電話をかけてきました。被災地から来た8人の子供は、順番でヤオミン選手と話ができました。都江堰から来た10歳の馬ヨウヨウちゃんが一番最初に、ヤオミン選手と話しました。最初の一言は「あなたはだれですか。ヤオミンさんですか」でした。

 郭雪羽さんは、ブン川から来た中学校二年生です。彼女は、ヤオミン選手と電話できることを喜んでいて、前の日は、一晩中眠れなかったそうです。ヤオミン選手に、「私はあなたのことが大好きです。ここ成都へ来てくれませんか。今日ヤオミンさんと電話できる子供は8人しかいませんが、こちらに来てもらって、ここの子供全員に会ってほしいです」と郭雪羽さんが話しました。

 一人の女子中学生は、なんと「近いうちに子供を生むつもりはありますか」と、去年結婚したヤオミン選手を困らせるような質問をしました。ヤオミン選手との電話のやり取りは1時間ほど続きました。子供たちは本当に楽しい1時間を過ごしました。

 ヤオミン選手との電話が終わった後、私はある子が落ち込んでいるのに気づきました。聞いてみたら、「自分がヤオミン選手と電話ができるのに、仲良しのクラスメートは亡くなった」と涙ぐみながら話しました。郭雪羽ちゃんも、「ヤオミン選手と電話ができて、本当にうれしかった。ここの人たちはきちんと私たちの世話をしてくれるし、私たちに優しい。でも、やっぱりお父さんとお母さんに帰ってきてほしい」と地面をじっと見て、黙りこみました。

 今回の地震によって、家族や親友が亡くなった人が多くいて、生き残った人たちは、これまでのライフスタイルが大きく変わり、愛する家族や友人や、頼りにしていた人などを失いました。

 物質的な面だけでいえば、全国、全世界からの援助があり、それほど困らないと思いますが、心におった傷を癒すには長い時間がかかると思います。被害者、特に子供達にとって、悲しい思い出はいつまでも記憶に残り、現実と思いでにはさまれて、暮らしていくことになるでしょう。

 この避難所には図書室、幼稚園、娯楽室などの施設が整っています。またおいしい食事も出ます。私は、この避難所を何回も取材し、子供たちと仲良くなりました。携帯電話の番号をお互いに交換して、成都にいた時には、よく携帯メールや電話で連絡を取っていました。しかし、北京に帰ることを彼らに教えませんでした。どうしてなのか。自分もよく分かりませんでした。

 その中の一人、ヤオランさんは今回の大地震で大きな被害を受けたブン川の映秀から来た中学校二年生の女の子です。彼女は、私が北京に戻った日に、私の携帯に「北京に戻りましたか」というメールを送ってきました。このメールを見て、私は胸がどきっとしました。「どう答えたらいいか」と戸惑いながら、「はい、無事北京に戻りました」と送信しました。すると、彼女からは、「いつか、私達は歩いてでも北京へあなたに会いに行きます」と返信がありました。このメールを見て、「自分は北京に帰らないほうが良かったのかもしれない」と後悔しました。

電話機を囲んでヤオミン選手と話し合う子供たち

姜平記者と子供たち

 成都にいた時、私はよく子供たちと話し合い、自分のカメラやビデオカメラを子供たちに貸して、「少年記者」に任命して、写真や動画を自由に撮らせてあげました。子供たちも私のことを「姜平おじさん」と呼んでくれました。同じように、子供たちを喜ばせるボランティア、スタッフが大勢いました。

 今考えると、子供たちは私とボランティアたちとのコミュニケーションを楽しみにし、また励みにしていたと思います。

 ところで、被災地はこれから復旧作業に入り、多くのボランティア、援助チームも引き上げつつあります。これからは、被災者たちは自力で頑張らなければなりません。特に子供達のことが非常に心配です。

 今回日本で発生した岩手宮城内陸地震のニュースを見るたびに、四川大地震を取材していた時のことを思い出し、なかなか落ち着かない気分になります。なにか、すべきことをしなかったような気がしました。

 その理由は、17日に一本の電話をかけた後、やっと分かりました。

 17日、成都に電話をかけたとき、電話に出たのは、私が北京に戻った日に、携帯メールを送ってくれたヤオランさんでした。彼女は今、被災地から来たほかの子供と一緒に、転入生として避難所近くの学校に通っています。

 電話をかけたのは午後1時半で、ちょうど昼休みの時間でした。ヤオランさんの話によると、来週の木曜日、避難所の子供たちと一緒に山西省の学校へ転校し、それからしばらくは、山西省の学校で授業を受けることになるそうです。

 ヤオランさんは、数年前、お父さんを交通事故でなくし、お母さんと二人で暮らしていました。お母さんは今一人で映秀に戻って、現地での復旧作業に携わっているそうです。

 「山西での一人暮らしは大丈夫ですか」とヤオランさんに聞いたら、「年に一回帰省できます。一人暮らしにだいぶ慣れました。大丈夫です」と答えてくれました。

 また、「日本の地震のこと、知っていますか」と聞いたら、彼女は、次のように答えました。

 「もちろん知っていますよ。テレビニュースで知りました。私たちも同じようなことを経験したので、地震で助かった人たちの気持ちをよく理解できます。日本のみなさんも、強くなってほしい。多くの肉親、親友がなくなったからといって、落ち込んでいてはいけません。私たちと同じように強くなって、楽しく生きていくべきだと思います」

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