当時、中国地区の政治情勢が複雑だった。なぜからというと、国民党は沈陽、長春とその周辺の町を支配し、共産党は哈爾浜、斉斉哈尓、牡丹江、佳木斯、吉林、延吉、安東(現丹東)など、広い農村の地区を支配した。また、ソ軍は大連地区を支配した。日本人を帰国は順調に進めたため、1946年1月10日……
地区を次のように区分し、第一地区には錦州を中心に、新錦西、朝陽、阜新、盤山などの県、市を含む。第二地区には瀋陽を中心に、新民、鞍山、本渓、扶順、彰式などの県、市を含む。第三地区には四平を中心に、遼原、通化、通遼などの県、市を含む……
1945年の終戦を迎えてまもなく、中米ソなどの国は、直ちに東北地区の日本人の帰国を計画し、予定どおりに進めました。この年、9月29日、中米連合参謀長会議が中国陸軍総司令部に提出した覚書で、最も早く「中国東北部の日本人の帰還計画」の問題に言及されていました……