返還する地区について、次のように区分されました。
1.地区を次のように区分し、第一地区には錦州を中心に、新錦西、朝陽、阜新、盤山などの県、市を含む。第二地区には瀋陽を中心に、新民、鞍山、本渓、扶順、彰式などの県、市を含む。第三地区には四平を中心に、遼原、通化、通遼などの県、市を含む。第四地区には長春を中心に、吉林、舒蘭、徳恵などの県、市を含む。第五地区には営口を中心に、海城、鳳城などの県、市を含む。
2.帰国を待つ人のための収容所を置く。管理所には各県、市の人々を派遣する。地方に駐留している軍隊と地元の政府は場所を指定する。
3.「日僑連絡事務所」を置く。沈陽には「日僑総連絡事務所」を置き、その他の各県、市に連絡所支所を置く。本部は係員を派遣し、五人から七人までの日本人は連絡支所で、十五人から二十人までは、「日僑総連絡事務所」で扱う。連絡所の職務は、帰国に関する規定を伝達し、決められた期日までに収容所の日本人の情況を報告する。また、帰国隊を組織し、食べ物を渡し、医療に関する仕事をする。
4.編成の細則。日本人の便利さのためだけでなく、途中の困難を少なくするために、家族単位で全体を帰国させることを原則とし、世話をしやすいように、老人、弱者、病人、身障者は青年とひと組にする。三つの小隊は一つの中隊に、三つの中隊は一つの大隊になり、組、時期によって帰国する。
5.帰国する順序。地区により、一、二、三、四、五組に分ける。管理所では汽車の多少により、毎回帰国する人数を変える。時間が決まると、帰国の順番を各地の連絡事務所に通知し、遅れないように先を争って秩序を乱すことのないように指導する。
6.中継基地の集合駅をつくる。終着駅となる錦西には、3万人あまり帰国予備軍がいるので、船は葫芦島に着くとすぐ出港する。そして、内科や婦産科も備えた臨時病院を置き、ベットは十分に確保する。
7.対象。東北に居住している日本人は、身分を問わず、全部帰国する。日本人女性は、日本の敗戦の後に、中国人と結婚した人は一律帰国とする。一方、子供もできた人は、希望すれば政府の許可を得て、しばらく帰国しなくてもよい。中国人は許可なく日本人を匿うことはできない。政府に徴用された証明書を持つ日本の科学者は、後で帰国する。重病で治療中の者は、錦西病院に留まって、治療を受け、最後の船で帰国する。
8.出港する人数。帰国を早めるために、出港する人数は毎日できるだけ1万~1.5万人を維持する。
9.他の帰国に関する細則。政府の法令、管理所の臨時規定により、問題を処理する。
今後、東北各地に分散した日本人は、それぞれ町へ集まり、1946年4月までに帰国を終わる。実際には、帰国を待つ東北各地の日本人は、145万人だった。その中、国民党支配区では約80万人、共産党支配区では約37万人、ソ連軍支配区では約27万人がいた。
(この続きは7月18日に掲載します)
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