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6月16日 火曜日

2015-06-16 19:29:58     cri    

 一時間目 第3回中韓日東アジア文学フォーラム、「広告で見る中国」~冬季五輪招致

 担当:王小燕、白昊、高橋恵子

 先週後半から週末にかけて、北京では連日、水彩画のような透き通った青空が広がっていました。多くの市民が思いっきり深呼吸したことでしょう。リフレッシュしての週明けとなりました。写真(下)は頤和園の公式ウェイボから。

 今週の「旬な話題」では、5年ぶりに北京で開催された第3回中韓日東アジア文学フォーラムの紹介に続いて、第18回上海国際映画祭で10回目を迎えた「日本映画週間」、そして、その中での高倉健作品回顧展の話題です。続いて、中国の旅行サイトがこの夏の人気海外旅行先について行った調査の結果を紹介します。なんと日本がトップの訪問先なのです!

 後半の「スペシャル・バスケット」では、 白昊アナによる新コーナー「広告で見る中国」がスタートします。北京のあちこちで見つけた広告を紹介し、その広告を通じて中国のあんなことやこんなことを語り、街角の人々の声もお届けします。記念すべき第1回は、北京の地下鉄3路線が乗り入れる西直門駅で目にした北京・張家口冬季オリンピック招致の公共広告を取り上げます。

 二時間目 中国語同時通訳者・神崎多實子さん(中)~通訳として接した人々

 中国の代表的な劇作家・曹禺のエッセー集『迎春集』に、「ある日本のお嬢さんに捧げる手紙」(原題:致一个日本姑娘的信)という文章があります。彼が1956年、中国からの文学訪問団の一員として訪日した際、通訳をしてくれた若い女性への手紙という形で綴られたエッセーです。文中には東京にいながも、いつも心はここにあらず、中国のことを思って「寂しい」と言う若い通訳のことが書かれていました。そして、若い通訳との会話を通して、当時の日本社会の様子や中日関係の一側面も生き生きと描かれているのです。その若い通訳とは、もちろん神埼多實子さんのこと。

 「良く読むと私のことが書かれていました。当時、中国からの訪問団が日本に見えると、1ヶ月以上の長い滞在になりますので、ずっと一緒に行動し、いろいろとお話ができました」

 

 スタジオでこのエピソードについて語る神崎さんの目は、輝いていました。時が経っても、この時のことは宝石のように輝いています。20歳から中日民間交流の現場で、通訳として活躍されていた神崎多實子さん。後に「東京駐在廖承志連絡事務所」主席代表として訪日した孫平化氏の紹介で、「LT貿易」として知られる「中日覚書貿易」事務所にも勤務しました。通訳人生を歩みながら出会った人々。忘れられない思い出がたくさんあります。

 中国と日本の国交正常化がまだ実現していない時代、通訳を通して交流現場で感じた人と人の生の付き合とは?

 神崎さんがサブ通訳からベテランになるまでの間の世界は、冷戦を背景に、中国と日本の間でもまだ盛んな交流もなく、中国国内でも文革などの政治運動で混乱した時期もありました。これは、日本人の中国語学習者にとって、決して恵まれた環境ではないように思います。それでも、困難を乗り越え、語学力を磨き続け、後々、名通訳となったコツは何か?

 今回は、ベテラン通訳者の成長物語。ぜひお聞き逃しのないように。

 【プロフィール】

 神崎多實子(かんざき たみこ)さん

 1935年生まれ。幼年期に中国へ渡航、1953年日本に帰国。都立大学付属高校(現桜修館)卒業。北京人民画報社、銀行勤務などを経て、フリーの通訳者に。通訳暦50年余り。NHK BS通訳、サイマル・アカデミー講師。

 編著書:『中国語通訳トレーニング講座 逐次通訳から同時通訳まで』(東方書店、1997年)

 神崎勇夫遺稿集『夢のあと』(東方書店、2010年)

 『聴いて鍛える 中国語通訳実践講座 ニュースとスピーチで学ぶ』(東方書店、2014年)                            

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