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4月21日 火曜日

2015-04-21 19:49:19     cri    

1時間目 北京市の柳絮対策、北京で開かれた新海誠展に来場者6000人

(王小燕、高橋恵子)

 このところ、北京のお天気は晴れたり曇ったり、青空だったり黄砂が飛んでいたりして、変化の激しい日が続いています。こんな天気をものともせずに草木は、元気に色とりどりの花を咲かせていて、特に今、カイドウの花がきれいに咲き誇っています。

 こんな北京から、今週お送りする「旬な話題」は、①「車模(カーモデル)」と呼ばれるコンパニオンが禁止された上海モーターショー ②北京市園芸当局の柳絮(りゅうじょ)対策についての2つのトピックスをご紹介します。

開幕式で挨拶する北京日本文化センター・吉川竹二所長(左) 

 「スペシャル・バスケット」では、3月19日~4月22日まで、北京で開かれた「新海誠展~劇場映画にみる新海誠の世界」です。3月7日に開幕したこの展示会は、「秒速5センチメートル」などの人気作品で知られる日本のアニメーション監督、新海誠さんの代表的な劇場映画作品の絵コンテ、キャラクター設定、レイアウト、複製原画、公開当時のポスターなどが展示されています。当初は3月29日までの開催予定でしたが、開幕当日から、主催者の予想を遥かに超えた来場者が押し寄せ、すぐに「一時中止」になりました。

 多くの参観希望者に対応すべく、オンライン予約プラットホームを整備し、1日200人に限定という厳格な予約制に切り替えて再スタートしたのは3月19日のことでした。予約が始まった初日は、瞬く間に満員になり、システムがパンクするほどの大盛況でした。

青木佐登留さん

 燕アナが展示会開幕の日に、来場者に感想を聞きました。また主催者代表の北京日本文化センターの吉川竹二所長、新海監督の映画の中国における配給代理の青木佐登留(さとる)さんにもマイクを向けてみました。

新海誠展・会場の様子

2時間目 日本外務省元中国課長・浅井基文さんに聞く(下)

 先週に続いて、日本国外務省中国課の元課長・浅井基文さんにお話を伺います。今回は、1983年11月、中国の指導者・胡躍邦総書記訪日の舞台裏のお話です。

 日本外務省在職中は対中国のみならず、在イギリスの大使館などでも活躍していた浅井さんは1990年に、外務省を辞職しました。その後、大学で教べんをとるようになり、学者としての人生を歩み始めました。どうしてそのような決断をしたのか。教壇に立った際、外交官として活躍していた経験がどのように生かされたのか、また学生への指導ではどのようなことを心掛けてきたのでしょうか。

 更に、2005年から広島で6年間仕事をしていた浅井さんが、人類初の被爆地である広島で感じたことは何か。今後、日本の向かうべき道についての考え方は?詳しくはどうぞ番組をお聞きください。

【プロフィール】

浅井基文(あさい・もとふみ)さん

1941年7月 愛知県生れ

1963年3月 東京大学法学部中退

1963年4月 外務省入省

 国内勤務 アジア局、条約局など 、国際協定課長(78年~80年)

 中国課長(83年~85年)、地域政策課長(85年~86年)

 外国勤務  オーストラリア(71年~73年)、ソ連(73年~75年)

 中国(80年~83年)、イギリス(86年~87年)

 1988年4月 文部省出向(東京大学教養学部教授)

 1990年3月 外務省辞職

 1990年4月 日本大学法学部教授

 1992年4月 明治学院大学国際学部教授

 2005年4月 広島市立大学広島平和研究所所長(2011年3月31日退職)

 2013年11月 「村山首相談話を継承し発展させる会」共同代表

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