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4月14日 火曜日

2015-04-14 19:34:53     cri    

一時間目 芸術の春を迎える4月の北京、第9回大中物産杯日本語弁論大会


 今週に入ってから、北京の気温が少しずつ上昇しています。今日は快晴で、最高気温が25℃にまで上がり夏を思わせる1日でした。太陽の光を浴びながら歩くと、うっすら汗ばんでしまうほどです。

 今週の「旬な話題」は芸術の春を迎えた北京の動きをお伝えします。第5回北京国際映画週間は4月16日に始まり、内外の映画作品300タイトルが北京で上映されます。中には、山田洋二監督の「小さいお家」、石井裕也監督の「僕たちの家族」、去年5月に日本で公開され、公開初日映画の満足度調査でトップになった「WOOD JOB!~神去なあなあ日常~」など日本の映画も含まれています。

 この映画祭に続いて、4月23日から5月30日まで開かれるのが大型国際芸術祭「相約北京」です。年1回の開催で今年で15回を数えます。日本発の唯一のプログラムとして作曲家・冨田勳が宮澤賢治の作品をモチーフに創作した「イーハトーヴ交響曲」が上演されます。中国でもたくさんのファンがいるヴァーチャルシンガー・初音ミクとのコラボも予定され、注目を集めています。


大中物産株式会社・河窪博史社長

 「スペシャル・バスケット」では、11日土曜日に北京で行われた第9回大中物産杯日本語弁論大会での取材をお届けします。2007年、中国と縁の深い西園寺一晃さんの提案で、年1回開催が決まったこの弁論大会。今年は北京、天津の19大学から200人の学生の応募がありました。CRIも後援しているこの弁論大会、6人の審査員の1人として王小燕アナも参加しました。

 水曜日の番組では今週から、初級の部と本戦の受賞者の弁論やインタビューをお届けします。この火曜日の番組では、審査員の目から見た今年の大会、そして、来年で10回目となるこの大会に寄せた思いをめぐって、提案者の西園寺一晃さん、主催者・大中物産社の河窪博史社長にそれぞれマイクを向けました。

二時間目 日本外務省元中国課長・浅井基文さんに聞く(上)

 今週のゲストは先月、「村山首相談話を継承し発展させる会」訪中代表団の一員として中国を訪問した日本外務省中国課元課長の浅井基文さんです。

 1972年9月、田中角栄首相と共に、中日国交正常化の最終協議で北京を訪れた日本側外務省のスタッフに、当時31歳の浅井さんがいました。外務省入省の時から、「いつか自分たちの手で中日国交正常化を実現させたい」との願望がありましたが、その前後はオーストラリア勤務でした。7月に上司に呼び戻されたものの、「雑務の担当で、肝心な交渉の作業には参加できなかった」とやりきれなさがありました。

 しかし、その後の外交官人生では1980~83年、北京にある日本大使館に駐在、1983~85年は中国課長に就任。在職中の1983年11月、胡躍邦総書記の訪日の受け入れでは大活躍しました。第1次教科書事件で、国交正常化10周年のお祝いもできなかった当時、両国のトップ会談が実現できた舞台裏では何が起きていたのか。ベテラン外交官の体験した1970年代~80年代半ばまでの中日外交をめぐって、お話を伺いました。

 【プロフィール】

 浅井基文(あさい・もとふみ)さん

 1941年7月 愛知県生れ

 1963年3月 東京大学法学部中退

 1963年4月 外務省入省

 国内勤務 

 アジア局、条約局など

 国際協定課長(78年~80年)

 中国課長(83年~85年)

 地域政策課長(85年~86年)

 外国勤務

 オーストラリア(71年~73年)

 ソ連(73年~75年)

 中国(80年~83年)

 イギリス(86年~87年)

 1988年4月 文部省出向(東京大学教養学部教授)

 1990年3月 外務省辞職

 1990年4月 日本大学法学部教授

 1992年4月 明治学院大学国際学部教授

 2005年4月 広島市立大学広島平和研究所所長(2011年3月31日退職)

 2013年11月「村山首相談話を継承し発展させる会」共同代表

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