五台山、文殊菩薩の霊場を訪ねる①
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一時間目は、世界遺産に登録された五台山をご紹介します。この時間では、五台山などの中国四大名山が仏教の聖地としての起源、そしてなぜ五台山が文殊菩薩の聖地なの、五台山という名前の由来、さらに、五台山の見どころがなについてご紹介します。その後、五台山の気候(観光シーズン)、アクセス方法、そして現地のグルメ(刀削麺)について、高橋さんと話を交わしてお届けします。
中国では、山西省の五台山、浙江省の普陀山、四川省の峨眉山と安徽省の九華山は、それぞれ文殊、観音、普賢、地蔵菩薩の霊場です。これらの四大名山が聖地とされた起源は、漢代以前に遡ります。仏教の伝来に伴い、各山では大量の寺や廟が造られ、 建立は清の末まで続きました。中でも五台山は中国においてもっとも早く仏教寺院が建立された地の1つです。後漢(58~75年)には、すでに仏教の寺院が存在していました。
隋の時代に入って、隋の文帝が詔を下し、5つの台(山頂)にそれぞれ寺院を建てるよう命じました。唐代に入ると、民間に「文殊信仰」が流行し、五台山一帯の寺院の数は300を超え、最盛期を迎えました。しかし、歴史の変遷や戦火を受け、この地の寺院建築も破壊の憂き目に遭いました。現在、残っている寺院は70近く、さらに20近くの寺院が修復されているところです。
なぜ五台山が文殊菩薩の聖地なの?
後漢の68年、五台山にインドの高僧がやってきました。この地の地形、気候、環境が、仏典に記録された文殊菩薩の居場所「清涼山」、「五頂山」に酷似していることに気づき、この地こそ文殊菩薩の居場所だと考えました。以来、歴代の仏教徒は五台山を文殊菩薩の道場としています。
五台山という名前の由来については、東西南北中の5つの方位にそれぞれ山があり、そしてその5つの山の山頂がいずれもなだらかな坂の広い台地です。文殊菩薩が説教をする場所であるため、5つの台にある寺院のいずれにも文殊菩薩の像が祀られました。東の望海寺には聡明文殊、南の普済寺には知恵文殊、西の法雷寺には獅子文殊、北の霊応寺には無垢文殊、中の演教寺には孺童文殊が祀られています。こうして、五台山に参詣する人々は、必ず5つの台の寺院に足を運ぶようになります。これを「朝台」といいます。
五台山の見所については、東台の望海寺(望海峰2795メートル、日の出)、南台の普済寺(錦繍峰、2474メートル、鳥瞰)、西台の法雷寺(掛月峰、2773メートル、月)、北台の霊応寺(葉頭峰、3058メートル、雪景色)、中台の演教寺(翠岩峰、2893メートル、雲海)
台内は、5つの峰に囲まれたエリアです。台内にある台懐鎮にお寺が集中しています。
気候について、春と秋は、4月上旬と10月上旬、平均気温は10~20度、夜の最低気温8~17度。冬は、10月下旬から翌年の4月上旬まで、平均気温は0~10度です。
交通アクセス(北京出発)
(1) 自家用車 北京―太原―五台山、北京―大同―五台山
(2) 長距離バス 北京六里橋(バスターミナル)から五台山まで
(3) 鉄道 K701列車で北京駅―五台山駅。降りてからバスに乗り換える。帰る際は定期バスで五台山から五台山駅へ移動、K702列車で北京に戻る。
現地の一番有名なグルメ:刀削面
小麦粉の生地の塊を持って(あるいは頭の上に乗せ)湯の沸いた鍋の前に立くの字型に曲がった包丁を用いて生地を麺状に削り落として直接鍋の中に入れ茹でて作ります。その後、スープに入れたり、あんや黒酢に絡めて食べます。
日本国内で日本人向けにアレンジされた刀削麺はラーメンのようなスープを用いることが多いですが、現地では釜茹で麺に酸味の利いたトマトソースをかけたり、豚肉の脂身とニンニクの芽が入った肉のあんをかけて食べることが多い。
山西省は「麺食のふるさと」と呼ばれるほど、多種多様な麺料理があります。
生地を箸で弾いて湯の中に飛ばす撥魚や、指で弾くものなどがあります。猫耳(猫の耳のような小さい麺)など、マカロニ・パスタとそっくりな麺もあります。生地も小麦粉だけではなく、コーリャンなどの雑穀を用いた麺もあります。
二時間目は、高橋さんのリポートを交えて、五台山の有名な観光スポット、菩薩頂、顕通寺、黛螺頂をご紹介します。ぜひお聞きください。
2009年の第33回世界遺産委員会で、五台山は世界遺産に登録されました。
五台山の台懐にある有名な観光スポットは、菩薩頂、顕通寺、黛螺頂などです。
まずは菩薩頂
五台山のラマ教寺院の中で、最大規模。台懐鎮の霊鷲峰に位置して、満州族
言葉で文殊菩の住居という意味です。北魏時代に建てられた当初は「大文殊院」という名でしたが、その後、修復され、改名を繰り返し、清時代にラマ教崇拝の場所として、青廟(和尚廟)から黄廟(ラマ廟)へと変わりました。清の康熙、乾隆2人の皇帝が何度も五台山を訪れ、「朝台」し、その度に、この菩薩頂の西禅院に宿泊したため、皇帝の離宮となりました。明代に、菩薩頂に改名されました。
「菩薩頂」には、文物が数多く保存されていますが、中でも珍しいのが、後院にある4つの大きな銅鍋です。旧暦12月「八仏成道日」には、黄米・緑豆・蓮の実・栗・サンザシ等を入れて八宝粥を作ります。
顕通寺
五台山最大の寺院です。かつて、インドの高僧が、仏法を伝授するために招きに応じて中国にやってきました。漢の明帝は小さな寺を建て、そこを2人の住まいとしました。これが中国で最初の仏教寺院、洛陽の白馬寺です。やがて、洛陽を出発して、北上し、五台山にやって来た2人の僧は、現在の顕通寺の位置は、釈迦牟尼が修行を行った天竺の霊鷲山にきわめて似ていることに気づきました。2人は明帝にそのことを上奏し、ほどなくして雄大な「大孚霊鷲寺」が建てられました。寺の名はその後何度も変わりましたが、現在では明の太祖より賜った「大顕通寺」の名を踏襲しています。同寺は洛陽の白馬寺とともに、中原(黄河中流・下流の地域)における仏教寺院の元祖と呼ばれています。
顕通寺の中には、壮大な大雄宝殿がそびえ立っています。敷地面積は670平米に及んでいます。無量殿は無梁殿とも呼ばれ、建築全体に梁も柱もなく、すべてレンガを用いた迫持(アーチ状にくさび型のレンガを積んでせり合わせて支える構造)の技術によって築かれています。明代の建築では、めったに見られない貴重な宝物です。顕通寺の無量殿の内部には、天井の高さは20.3メートル、幅28.2メートル、奥行き16.2メートルです。
黛螺頂
清の乾隆帝は、何回も台頂に登って参拝しようとしましたが、風雨のため一度も実現できなかったといわれています。1781年、乾隆帝は五台山の中心部に位置する黛螺頂の寺院の住職である青雲法師に対し、5年後に再び五台山を訪れるが、そのときは「台頂まで登らずに、五方の文殊菩薩を拝したい」と伝えました。
青雲法師は、五つの台頂に祀られている文殊菩薩の塑像をそっくりまねてつくり、黛螺頂の正殿の中にまとめて安置すれば、殿内の五体の文殊像を礼拝することによって五方の文殊を拝することになるという。
1786年3月、乾隆帝は再び黛螺頂の寺院に来て五体の文殊像を拝しました。大いに喜び、即興で『登黛螺頂作(黛螺頂に登りて作す)』という七言律詩を作りました。その詩は石碑に刻まれ、いまでも寺内に残っています。
これが、五台を巡って参詣する「朝台」を簡略化した「小朝台」の由来であです。1080段の石の階段を一段あがるごとに頭を地につけて礼拝しながら向かいます……
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