歴史は忘れることはできず、歴史は突破できるのみである。だが、この近代に貧しく弱体だった国は、「東アジアの病夫(人)」と呼ばれた民族は、スポーツ強国に向けての突進はなんと困難を極めたことか。
1世紀前、ある有識者が雑誌『天津青年』に初めて提起した。「中国はいつ勝利する選手を五輪に派遣して参加できるのか。中国はいつ勝利するチームを五輪に派遣して参加できるのか。中国はいつ自ら五輪を開催できるのか」。この3つの連続した問いは、非常に悲壮的だ。
76年前、ロサンゼルス大会の開幕式に初めて中国選手の姿があった。劉長春という23歳の短距離選手は手に国旗を掲げ、世界に中国に五輪運動のあることを宣言した。だが、長く苦しい旅で疲労困憊し、男子100メートル予選では、国内では10秒8で走っていた劉長春は11秒1。最終的に体力を過度に消耗して400メートル予選を欠場、無念の思いで帰国した。
中国五輪史上での「ゼロ」への突破は、半世紀以上と長く待たねばならなかった。84年のロサンゼルス大会。中国代表団は再び五輪競技場に姿を見せるとともに、新興スポーツ強国の風貌を示した。許海峰選手がピストルで中国五輪史上初の金メダルを獲得し、百年来の「東アジアの病夫」の恥辱をそそいだ。
この貴重な金メダルの背後には同時に、中国が改革開放の道のりを踏んできた後の春を思わせるような息吹が感じられた。
※8月8日、中国代表団入場。この日、第29回夏季五輪大会が国家体育場で厳かに開幕した。新華社記者・李[乃/小]撮影
24年後の08年8月8日、北京で開幕した第29回五輪で、中国は639人という膨大な代表団を編成。試合開始以来、51個の金メダルを手にし、中国が以前獲得した金の記録をはるかに超えた。
中国選手は金銀を獲得すると同時に、自らの力で次々と記録を塗り替えた。体操にフェンシング、アーチェリー、レスリング、ボート、セーリング、テコンドーなど多くの競技で歴史的な突破を遂げ、激情に溢れ、中国人を奮い立たせた。
一連の「五輪で突破」は、改革開放後の中国がさらに活力に溢れ、さらに競争力を備えていることを如実に示した。競技スポーツで絶えず突破しながら、全国民の健康スポーツも盛んに展開されており、中国の世界のスポーツ強国の夢はすでに遠いものではなくなった。
「チャイナネット」 より
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