昨日は初めてのパラリンピック観戦で、卓球を見に行きました。4月に来て以来、近くていつも通りがかっていたものの、中に入ることは出来なかった北京大学の体育館にやっと入ることが出来、入れただけでも、ワクワクしましたが、試合を観戦してそのワクワク感は、予想をはるかに超えた感動に変わりました。
試合は午前の部でまだ予選ラウンドでしたが、場内の席は8割は埋まっていて第一試合から盛り上がっています。場内にはコートが8コートあり、それぞれのコートにはパラリンピックならではの異なった障害を持つ選手達が、障害の程度別に振り分けられて試合をします。私の席の前のコートは車椅子の女子選手で、ドイツ対スロベニアの勝負。車椅子卓球は利き腕でラケットを持ちながら、反対の腕で常に車椅子を微妙にコントロールして打ち合います。見ていると、前後左右に来るボールに対してうまく手を出していて、見事なラリーの応酬です。
試合の方はセットの取り合いになり、フルセットにもつれ込む白熱の戦い。ドイツの選手が落ち着いた雰囲気で淡々と試合を進めるのに対して、スロベニアの選手は一球一球に気合を入れて、感情を表に出すタイプです。選手同士も真剣ににらみ合い、すごい闘志で見ている私たちも思わず力が入ります。最後にはスロベニアの選手が勝ちましたが、試合終了後は両選手握手を交わし、お互いの健闘を称えあいました。スロベニアの選手の勝利の時の喜びの表情は素敵で、国旗を広げながらコーチと抱き合う姿に大きな拍手が沸きました。
次の試合は、車椅子ではなくお互いに立って歩ける人同士の試合でした。とはいえ、ロシアの選手は背中に大きなこぶがあり、動作をするのに大きな障害がありそうでしたし、オランダの選手は杖を突きながら苦しい歩き方で入場してきました。ところが、試合が始まるとオランダの選手は杖を床に置き、立って打ち始めました。普通に立っているだけでもバランスを崩した状態なので、その姿勢から動くことがどんなに大変なものかは想像できました。
試合はロシアの選手が簡単に一セットを取り、やっぱりオランダの選手に勝ち目はないかと思っていたら、2セット目から反撃し、2、3セットを取り返しました。バランスを崩しながらも来たボールに対して素早く反応し、時にはダイビングしてまで返球し、床に座った状態からも打ち返す、彼女のファイトに見ている人々は感動し、一球一球に大きな拍手が沸きました。「ケリー」「ケリー」私の横の席のオランダ応援団から大きな声がかかり、彼女の名前がケリーであることがわかり、見ている中国人達も一緒になって「ケリー」「ケリー」の大声援を送ります。
試合はフルセットに入る激戦になり、ロシアの選手が冷静な試合運びで逆転し、ケリー選手は健闘むなしく敗れました。私たちは両選手に大きな拍手を送り、その拍手は試合終了後もしばらく鳴り止みませんでした。ベンチに戻ったケリー選手はコーチに抱かれずっと泣き続け、2人はコートの端のベンチに座り、誰もいなくなったコートをずっと見つめていました。
この試合を観戦しながら、私は涙があふれて止まりませんでした。自分の持っている能力を極限まで出そうとする選手達の素晴らしい闘志は、人間として生きる原点が何かを思い起こさせてくれました。それは、オリンピックにもパラリンピックにも、さらには私たちが普段目にしている子供たちのスポーツや生活の中にも共通する本当に尊いものなのだということを改めて感じさせてくれました。
観戦後、呆然として体育館を出ると、体育館の外で偶然にもケリー選手に出会いました。彼女は車椅子にすわり、ご両親の腕の中でまだ泣いていました。私は思わず駆け寄り、「試合に感動しました!」と伝えましたが、それ以上は言葉になりませんでした。一緒に写真を撮ってもらい、最後に「次のパラリンピックがんばって!」と伝えたらみんなで微笑んでくれました。
私は、体育館を後にしながらケリー選手とご両親が最後に微笑んでくれたことの意味を考えました。もしかしたら、ケリー選手は障害が悪化し、卓球が出来なくなってしまうかもしれない。次のパラリンピックのことは考えられないのかもしれない。そんな中でも私に微笑を返してくれたケリーさんからは、「どんなことがあっても、私はずっとベストを尽くして生きてゆく」という強い思いが伝わってきて、再び胸が一杯になりました。
写真オレンジのシャツがオランダのケリー選手で、車椅子の写真はご両親と一緒のものです。
【プロフィール】
1957年生まれ 早稲田大学教育学部卒 筑波大学体育研究科大学院修士課程修了 専門スポーツは陸上競技 早稲田大学本庄高等学院 教諭 早稲田大学スポーツ科学部講師 2008年4月ー2009年3月 早稲田大学から北京大学への交換研究員
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