4月に北京に住むようになってから、五輪の看板や旗、新たなモニュメント、美しい花や植栽など、五輪開催を前に日々移り変わる北京の街の景色を見ながら、オリンピックの開催を楽しみにしてきました。オリンピックのカウントダウン掲示板の日数が刻一刻と減ることに、北京に住む中国の人々と一緒に心を躍らせていました。一方では、日本や世界からのニュースでは聖火リレーでの混乱を伝え、大気汚染やテロの発生を危惧する声も耳にしました。
そんな中で起こった四川大地震。オリンピック開催を危ぶむ声も聞かれましたが、北京オリンピックは予定通り開催ということで、中国の人々は四川の人々の救済に心を置きながら、目はオリンピックを見据えての準備を加速して行きました。中国という13億の人口を誇る大国の、内外を揺るがす大きなうねりの中で、北京オリンピックは着々と準備が進められ、8月8日の開会式の日を迎えました。
開会式は中国の人々にとって、いや世界の人々にとっても、忘れることの出来ない一大イベントとなりました。中国の歴史と伝統と新たな未来を、最新の科学技術を絡めて描き出した演出に、私たちは圧倒されました。一つ一つのシーンに深い意味を持たせた、素晴らしいショーでした。あの開会式が無事終了した時に、多くの人々が北京オリンピックが大成功のうちに進んでゆくことを予測できたのではないかと思います。
大会は地元中国選手の大活躍を中心に、日を追うごとに白熱して行きました。世界各地から集まった選手達が、各種目で繰り広げた名勝負、名場面、世界新記録の誕生、勝利した選手達の笑顔、敗れた者の涙も、私たちにとって忘れられないものとなりました。「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉のもとに集まった選手達も、実際にはその種目のただ一人の勝利者を目指して戦ってゆきます。勝利者の数の何十倍、何百倍もの敗者が生まれ、その戦いの中で最も輝く金メダルを獲得した勝者を私たちは羨望のまなざしで称えるとともに、敗れた選手達にも大きな拍手を送りました。
そして迎えた閉会式。またもや驚くような演出の数々の中に混じって行われたセレモニーの一コマに、私の目は釘付けになりました。開会式や閉会式の中で行われた演出の中でも最も地味なセレモニーの中に、私は北京オリンピック大成功のもとになった美しい笑顔を見つけました。そこには、私たちが北京の街角のあちこちで、そして大会会場の各部門で常にお世話になったボランティアの代表者のみなさんが、次々と舞台に上がり、選手達の代表者からお礼の花束を渡されている光景が映し出されていました。スカイブルーのシャツとグレーのズボン。そろいのユニフォームを着たボランティアの皆さんの笑顔が輝いていました。
世界各国のメディアからの北京五輪の評価がどのようなものになるのか、私にはわかりません。しかしながら、北京に住む一外国人の私にとって、このオリンピックを通じて北京の街でふれあった中国の人々の笑顔と優しさ、そして明るさは、生涯忘れることの出来ない思い出になるとはっきりと言えます。常に親切な態度で接してくれた中国の人々の笑顔から、私はこの国の人々がどんなにこのオリンピックを待ち望み、楽しみにしていたものであるかが読み取れました。オリンピックを開催したことのある日本から来た私は、開催したことの無かった中国の人々の素晴らしい笑顔から、私たちが忘れかけていた素朴で純粋な心を思い出すことになりました。
北京五輪は、施設、運営、演出等で過去の五輪の中でも高い評価を与えられるのではないかと思いますが、一方ではお金のかけすぎという批判も出るかもしれません。そんな中で、誰もが最も高く評価し、中国という国のイメージを最も高めたと感じさせるものは、一番お金のかからないボランティアの方々の笑顔だったのではないかと私は思っています。 ボランティアの皆さん 謝謝 感謝!
【プロフィール】
1957年生まれ 早稲田大学教育学部卒 筑波大学体育研究科大学院修士課程修了 専門スポーツは陸上競技 早稲田大学本庄高等学院 教諭 早稲田大学スポーツ科学部講師 2008年4月ー2009年3月 早稲田大学から北京大学への交換研究員
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