オリンピックが始まった頃、野球の3位決定戦のチケットが手に入り、その時は日本戦になるとは思ってはいませんでしたが、昨日の準決勝に敗れて日本対アメリカ戦を見られることになりました。
北京五輪の野球場はプロ野球の盛んな日本のスタジアムに比べると、ちょっと貧弱に見える感じです。スタンドは全て仮設で、内野スタンド前のネットもなく、ファールグラウンドも狭い感じです。
しかし、両翼は98mありグラウンド自体は広いものでした。私の席はレフトとセンターの間の外野席でしたが、スタンドには日本人がとても多く、特に正面に見える1塁側内野スタンドは日本の国旗がそこかしこ掲げられ。試合が始まるとそのスタンドからはリーダーの笛に合わせた日本チームへの一斉応援が始まり、ホームチームのような感じです。
試合は日本が先手を取りアメリカが後を追う展開になりました。そして4対1と日本がリードした後、アメリカの攻撃でレフトの佐藤選手がフライを落球しました。その時、私の後方の数人の日本人が佐藤選手に「何をやってるんだ!」という野次を飛ばしました。私はその野次を聞いていて、とても不愉快になりました。プロ選手だから当たり前といっても、応援というものは励ましながら選手に最高の力を引き出すためのもので、叱りつけることはかえって緊張させてしまい良くないと感じましたが、その後も佐藤選手に対しての野次は時々続きました。
試合はそのエラーをきっかけに日本は同点に追いつかれ、後半にも加点され4対8でアメリカに敗れてしまい、結果的に佐藤選手のエラーは大きなターニングポイントになってしまいました。
私は試合の終盤で北京オリンピックでも話題になっている応援時のブーイングについて考えてみました。私たち日本のスポーツ界では古くから野次という形での応援方法はありましたが。ブーイングという応援は無かったのではないかと思います。欧米のプロサッカーやプロ野球がテレビでも放送されるようになり、ホームチームと敵チームに分かれる中で、応援も過熱し相手のプレーを精神的に圧迫するようにブーイングが起きるようになり、それが日本にも伝わってきたように思えます。
そんな中、北京オリンピックでも地元中国の応援の中で相手チームへのブーイングも見受けられました。地元の優位といえばそれまでですが、ブーイングという行為そのものは、いい感じのものではないと感じました。
本来スポーツの試合においては選手たちは相手に勝つために死力を尽くして純粋に戦います。そして相手がどんなライバルであっても相手に対して敬意を表することはスポーツマンとして大切なことで、相手選手へのブーイングをされると、地元選手は相手に対して失礼だと感じ、親しい選手同士の場合などは試合終了後には、地元選手が相手選手に謝りに行く場合もあります。
3位決定戦終了後、私はアメリカの応援グループの所へ行き「おめでとう」と言ってから、日本の笛による集団応援についての話を聞いてみました。すると、派手なアメリカ国旗が入った帽子をかぶったおばさんは、不機嫌そうでした。私は日本の野球文化について説明しましたが、彼らにとってはアメリカの応援者が日本よりも少ないこともあって、笛の先導による応援は相手を威圧する目的ではなかったとしても、いい感じはしなかったようです。とはいえ、そのおばさんの息子さんがアメリカの選手だということで、銅メダル獲得おめでとうということで一緒に写真を撮らせてもらいました。
今回の北京オリンピックを直接競技場で見られたことで、世界各国の応援を肌で感じることができたことは私にとって大きな収穫でした。応援の中でも味方を応援するもの、敵の集中力を低下させようとするもの、味方のミスプレーを注意することでがんばらせようとするもの等いろいろあることがわかりましたが、オリンピック等での国際試合において相手を貶めるような応援スタイルは、国際問題にも発展しかねず、やはり味方を応援するということに集中することが重要なのではないかと改めて感じました。
【プロフィール】
1957年生まれ 早稲田大学教育学部卒 筑波大学体育研究科大学院修士課程修了 専門スポーツは陸上競技 早稲田大学本庄高等学院 教諭 早稲田大学スポーツ科学部講師 2008年4月ー2009年3月 早稲田大学から北京大学への交換研究員
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