17日は楽しみにしていた女子マラソンの日でした。
北京オリンピックのマラソンコースは北京の名所旧跡を通り、私の住む北京大学内にも入ってきますので、私は部屋の近くで走ってくる選手を待つことにしました。
朝7時から部屋のテレビをつけて、放送を待ちますが、どのチャンネルを回してもなかなか始まりません。北京のテレビチャンネルは全部で30位あり、一回り番組を探すだけでも5分くらいかかってしまいます。日本と違い中国のテレビ局はマラソンにそれほど力を入れているわけではないらしく、結局スタート前からの放送はありませんでした。
あきらめかけた時にやっとニュース映像のような感じで天安門広場のスタート風景が映し出され、いつも人でいっぱいの広場と車でいっぱいの道路がきれいな広い空間になっていることに五輪マラソンなんだという実感がわいてきました。
スタート後はまたニュース放送になり、マラソン映像がなくなってしまいチャンネル探しに戻りましたが、8km過ぎくらいからはマラソン中継が始まったようでなんとか続けて見ることが出来ました。中国の放送は解説者もいますが、日本に比べラップタイムとかの分析もそれほど細かくはないようでした。
先頭集団が20kmを過ぎてから部屋の外に出てランナーを待つことにしました。大学構内は五輪期間中入るのが厳しいので、それほど多くの人はいませんでしたが、みんな楽しみにランナーを待っています。この日の北京は予想していたよりも涼しく、猛暑だった去年の大阪世界陸上とは随分様子が違うと思いました。
しばらくすると、上空を飛ぶヘリコプターとともに、ランナーがやってきました。観衆からは中国選手だけでなく全選手に「ジャーヨウ!」の応援が途切れることなく続きます。声援が響く中、肌の色が違う多くの選手達が母国のユニフォームを着て入り乱れて走ってくる五輪マラソンの独特の雰囲気は素晴らしいものでした。先頭の選手から最後尾の選手まで、ひたむきに前に進んで行く選手たちに接することができ、胸を打たれました。日本選手では中村さんが元気そうな顔で走っていったのが印象的でした。
全選手が通り過ぎてから部屋に戻ってテレビでゴールを見ましたが、優勝したトメスク選手の笑顔とラストスパートで2位に入ったヌデレバ選手、3、4位に入った中国選手の喜びが印象的でした。また、シモン選手の年齢を感じさせない走りや、何度も立ち止まりながらもゴールしたラドクリフ選手のがんばりにも感動しました。日本選手では、土佐選手は足が痛くなり途中棄権はかわいそうでしたが、中村選手が強豪集まる中、しっかりとした足取りで13位でゴールしたのは立派だと思いました。
中国のテレビで毎日報道されている中国選手たちの大活躍に驚きながらも、北京に住む一外国人として、日本での解説や報道情報に触れずにレースをテレビやコース脇で観戦できたことは自分にとってとても新鮮なものでした。スポーツ本来の持つ純粋なさわやかさを感じさせてくれた女子マラソンレースでした。
【プロフィール】
1957年生まれ 早稲田大学教育学部卒 筑波大学体育研究科大学院修士課程修了 専門スポーツは陸上競技 早稲田大学本庄高等学院 教諭 早稲田大学スポーツ科学部講師 2008年4月ー2009年3月 早稲田大学から北京大学への交換研究員
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