言わずと知れた卓球の元女王である。これまでの国際大会で、団体・個人を含めて中国で史上最多の23冠を手にし、かつて世界に君臨したトウ亜萍に続いて、五輪・世界選手権・W杯の世界3大大会制覇という偉業を成し遂げた。ここ数年、年齢のためか体力の低下が目立ち、ついに世界一の王座を若手選手に譲った。
だが、それでも彼女は選手であり続ける。競争が激しい卓球王国・中国の代表選手となって13年。ますます磨きのかかるテクニックはもちろんだが、豊富な経験を持つ彼女は、国家チームを支える精神的な柱としての存在感も大きい。
今年30歳。だが北京五輪では、虎視眈々と個人3度目の五輪金メダルを狙っている。
父の影響で7歳から卓球を始め、14歳でプロデビュー。3年後に国家代表入りを果たした。ループドライブを得意とする攻撃的なプレーが持ち味。2000年、個人初のシドニー五輪でシングルス、ダブルスとも優勝し、一躍、中国女子代表のリーダー格となった。しかし2年後、釜山アジア大会の団体戦決勝で、エースとして2試合に連続出場したが、すべて敗れ、中国代表は優勝を逃した。スランプに陥った王楠は、引退も考えたという。
「頭が空っぽになって、どうやってホテルに戻ったのかもすっかり忘れた。釜山大会から半年間、少なくとも1000回、決勝の場面を夢で見た」と当時の悔しさを語る。
王楠は帰国後、猛練習で技を磨き、その「屈辱の敗戦」の半年後、世界選手権に挑んだ。2003年、フランスのパリで開催されたこの世界選手権個人戦で、全種目(シングルス・ダブルス・混合ダブルス)制覇し、シングルス3連覇も達成。アジア大会の無念を完全に晴らした。
中国国家代表では2005年から、選考における年齢制限を撤廃し、たとえ世界チャンピオンであろうと、代表資格を取るには、力のある年下の選手と競わなければならなくなった。30代を間近にしていた王楠は、自身の技術アップや体力維持だけでなく、若手選手による「突き上げ」にも直面する。だが本人は全く気にしていないそうだ。「新旧交代は当たり前。若い選手がどんどん成長するからこそ、中国卓球が強くなっていくのだから」
若手の成長と体力的な問題から、王楠は2004年頃から思うように勝てなくなり、ついに女王の座を新進の張怡寧に譲った。だが、その存在感は、少しも変わることなく、むしろ精神的な柱として、目立つようになった。
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