相手が誰であろうと強い気持ちで立ち向かう「覇気」のある選手だ。高い身体能力に強靭な精神力も持ち合わせ、瞬発力と持久力を兼ね備えた攻撃的なプレーが持ち味。2004年から世界ランキング1位を守り続け、外国メディアから名前の「丹(ダン)」をとって「スーパー・ダン」とも呼ばれている。
2004年アテネ五輪でもダントツの評価を受けていた。だが、まさかの一回戦敗退。プロデビュー以来、団体、個人とも取れるタイトルはほとんど手にしている林丹だが、五輪金メダルは唯一の、そして最大の目標である。
「もう前回の失敗は繰り返さない」
五輪を間近に控え、世界のエース、林丹は熱く、そして冷静に闘志を燃やしている。
1983年、中国福建省の生まれ。小さいころ、根っからの「やんちゃ坊主」だった彼を大人しくさせようと、両親が最初に習わせたのは電子オルガンだった。だが、彼はそれに見向きもせず、授業の合間、友達と体育館で見たバドミントンに「一目惚れ」した。
5歳から本格的に練習を始め、メキメキと頭角を現した。12歳の若さで中国人民解放軍所属の八一チームに入ってプロデビューし、18歳で国家代表入り。2000年には、アジアジュニア選手権で優勝し、世界デビューを果たした。2003年後半から、国際大会ではほとんど負けることなく、2004年からは世界ランキング1位の座についた。2004年のアテネ五輪では当然、金メダルが期待されたが、なんと1回戦で敗退した。このときのことを彼はこう振り返った。
「それまでの国際大会は全部優勝していたし、世界ランクも1位だったので、内心では、オリンピックで負けることはないと思っていた。でも、そう思えば思うほど、落ち着いてプレーできなくなった。だが、やはり負けたのは、力がなかったからという理由に尽きる」
アテネの敗北をバネに、林丹は、どんな状況でも勝てる「強さ」を目指して練習に励んだ。靴が合わないためか、長時間練習を続けたためか分からないが、足の裏にできる「水疱(すいほう、水ぶくれ)」の痕は、国家チームで最も多いという。また、今年1月、広東省での合宿では、平均して3日間に1足、靴を履き壊したそうだ。
そのたゆまぬ努力が、引き続き彼を王者の地位に置き続けた。2006年、スペインのマドリードで開催された世界選手権で個人初の優勝を果たし、翌2007年にも連覇をなし遂げた。そして今、唯一欠けているタイトル「オリンピック」が再びやってくる。
林丹はファイティングスピリッツにあふれた選手だ。どんな試合であろうと、闘志をむき出しにしながら戦う。だが、前回のアテネ五輪のあと、彼は試合に対するアプローチを少し変化させた。それは「平常心」で臨むこと。このことは彼のコメントに表れている。
「絶対に金メダルを手に入れるなんて言わない。オリンピックに出場する選手はみんな強いんだ。けれども全力を尽くして勝つ・・・それだけ」
人民解放軍チーム出身の林丹は根っからの"軍人"だ。大事な試合に勝つと、観客に敬礼をするのがお決まりのポーズ。1ヶ月後の北京五輪では、決勝の大舞台で、満員の観客に向けて得意の敬礼を見せる林丹が見られるだろうか。
林丹(中国語読み「リン・ダン」)
1983年10月に中国福建省で生まれる。178センチ。サウスポー(左利き)。
優勝歴:2000年のアジアジュニア選手権、2006年・2007年の世界選手権
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