中国で最も人気のあるサッカー・バスケットボール・バレーボールの3大球技の中で、世界に誇る実力を持つ女子バレーボール。前回のアテネ五輪で20年ぶりに金メダルを獲得しただけに、自国で開催されるオリンピックに向け、中国バレーファンからの期待も大きい。しかし、アテネ五輪後、ベテラン選手の引退に加えて、馮坤、趙蕊蕊など主力選手の故障が相次ぎ、中国代表は、チーム建て直しを余儀なくされた。不安定な中で3年間、タイトルを取ることなく低迷していた。
だが今年、ケガで1年間、戦線離脱していた、あの世界一のセッター馮坤が、帰ってきた。
馮坤は、183センチ。セッターとしては中国でこれまでにない高さとなる。バレーボールを始めた当初はアタッカーだったが、そのためだろうか、「攻撃的トス」がその魅力だ。アタッカーの動きに合わせ、速くて安定したトスで攻撃陣を支えるかたわら、ときおり自ら決定的なボールを放つ。普通、セッターがトスを上げるはずの2回目で相手コートのスペースを狙って打ち込む「ツーアタック」が得意だ。
1995年、当時の代表監督で中国女子バレーの名選手だった朗平に見いだされ、17歳の若さで国家代表入りを果たした。技術・経験とも足りなかったものの、朗平からその「可能性」が認められ、「馮坤がいれば世界一になれる」とまで言わせた。ただ、経験不足のため、国際大会に出る機会になかなか恵まれなかった。
そして2001年、朗平の助手だった陳忠和(今の代表監督)が監督となり、すぐに馮坤を第1セッターに決めた。
「当時は、彼女より技術が上で経験も豊富なベテラン選手がいるのに、なぜ?という疑問の声もたくさんあった。でも、これほど攻撃力があってブロックも上手いセッターは珍しい。馮坤が成長すれば中国女子バレーの世界制覇が有望となる」
その後の中国女子の活躍は目を見張るものだった。2003年のワールドカップでは11連勝で17年ぶりの国際大会優勝を果たし、また翌年のアテネ五輪では20年ぶりに金メダルを獲得。馮坤は、身長を活かしたブロック、そして素早く変化に富むパスやツーアタックを駆使し、相手の守備網を打ち破った。「世界最優秀セッター」とも呼ばれた。
だが、アテネ五輪後、膝のケガが悪化した。2007年初め、手術を受けるためにアメリカに行く前は、引退の可能性さえ囁かれたが、本人は「復帰を考えていなければ、わざわざアメリカで手術を受けにいくわけがない」ときっぱり否定した。
主力選手の離脱を受けて、中国代表は、急いで若手を起用し、チーム再建に取り組んだが、低迷は阻止できなかった。世界選手権で格下のチームに破れたり、ワールドグランプリで史上最低の順位に甘んじたこともあった。北京五輪を前に、陳忠和監督は「中国代表の成績は馮坤しだい」とまで語り、その復帰を心待ちにした。
そして、北京五輪開催の年、チームとファンから待ち望まれていた馮坤がついに帰ってきた。2月の親善試合で新メンバーらのプレースタイルを覚え、6月にスイスで行われたマスターズでは無難にセッターをこなした。結局、キューバに負けて2位に止まったが、最優秀セッターに選ばれて、完全復帰を「宣言」した。これで中国女子バレーが誇る「縦横無尽」なコンビプレーが復活したといえよう。
北京五輪を1ヵ月後に控え、この"世界一のセッター"が抱負を語った。
「何十年ぶりの優勝とその後のケガで、精神的に鍛えられた。身体はまだ100%回復していないが、バレーボールは体だけで勝負するものではない。いままでの経験を活かして、アテネを超えるプレーができるようにがんばる」
(鵬)
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