「4年に1度のチャンスを再び逃してしまった。傷の痛みより、悲しみと残念さのほうが大きい」
6月14日、天津で行われたサッカーの2010年ワールドカップ(W杯)アジア3次予選1組のイラク戦の後、中国代表キャプテン、鄭智が無念を語った。中国はこの試合、1ー2で敗れ、最終予選出場の可能性を完全に失った。鄭智はフル出場したが、ケガが完治していないせいか、チームへの貢献度はほぼ「ゼロ」。中国サッカーでナンバーワンのプレーヤーといわれる鄭智は、オーバーエイジ(OA)枠の一人として北京五輪の出場が内定しているが、2ヵ月後にチームを率い、目標の上位進出が果たせるのか・・・期待と不安は大きい。
鄭智は1980年、中国遼寧省の生まれ。181センチで75キロ。抜群のテクニックとスピード、そして体の強さがあり、攻撃・守備を問わず、これといった弱点がないのが特徴だ。非常に器用な選手であり、プロデビュー以来、ゴールキーパー以外の全てのポジションを経験した。
中国のプロサッカー1部リーグでは深セン、山東と移籍し、相次いで優勝に導いて、その実績を買われ、2006年12月、イングランド1部のプレミアリーグのチャールトンにレンタル移籍。シーズン終了後、チャールトンは1部を降格したものの、実力が認められて、翌2007年8月にチャールトンに正式移籍した。移籍金は中国人選手として史上最高の200万ユーロだった。
イングランドでは1部リーグよりも、2部のほうが体のタフさが求められる。だが、少しも不慣れな様子はなく、体力を惜しまない走りと正確なパスを活かし、ミッドフィールダーとしてチームの攻撃陣と守備陣を見事につなぎ、またゴールにも貢献してきた。2部リーグでの初シーズンは9得点(2008年2月まで)を上げた。チームメートやファンの人望も厚く、ゲームキャプテンを務めたり、英国首相の招待を受けたこともあった。
ただ、中国サッカーの海外勢としては最高の活躍ぶりを見せている鄭智だが、国家代表として国際大会に臨むと、決してベストでないことが多い。いつも時差ボケやケガに悩まされ、さらにイングランドのクラブでの疲れが溜まり、グラウンド上で全てを出そうとしても出しきれないようだ。
14日に行われた2010年ワールドカップアジア3次予選のイラク戦では、相手ゴールに向かって攻め込んでいるところ、自らキープしていたボールを奪われ、点を失った。しかも同じことを2度も繰り返して、1ー2の逆転負けを喫した。これで、中国は最終予選に進出するための最後のチャンスを失った。1980年生まれの彼は、次の次、つまり2014年のブラジル大会には34歳になっている。年齢的には、今回が最後のワールドカップとなり、その大切なチャンスを逃したことになる。鄭智は、次の世代に対し、こう期待を語った。
「僕はもうワールドカップに出られないのかもしれない。でも、この失敗を若い選手たちは心に留めてほしい。彼らにとって、サッカーの道はまだまだ続くのだ」
だが、鄭智の道も、まだまだ続く。北京五輪では、3人の「オーバーエイジ枠」の1人として、チームを率いることになっている。まだまだケガに悩まされることが多く、本調子には程遠いのが現実だが、あの「最強」の個人技と強さを兼ね備えた鄭智のサッカーをぜひもう一度、北京で見たいものだ。(編集・翻訳:鵬)
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