1984年のロス五輪で、女子フェンシングのラン菊傑選手は中国の五輪史上初の金メダルを獲得しました。これが、中国のフェンシング代表にとって、唯一の五輪金メダルとなっています。
ただ実は、中国フェンシングは金メダルをとる力がないわけではありません。特に男子のフルーレ団体はかなりの実力を持っています。2000年のシドニー五輪で、1点差で銀メダルに終わり、またアテネ五輪では審判の6回にわたる誤審によって、3点差で2位となりました。
中国で「剣士3人」と呼ばれている王海浜、葉冲と董兆致は、中国フェンシングの代表的人物で、五輪を含む国際大会で優れた成績を残しました。しかしアテネ五輪後、3人はそろって引退しました。今年の北京五輪では24年ぶりの金メダル獲得を目指して、新たな挑戦となります。今大会から、中国が優位に立っていた男子フルーレ団体と女子エペ団体が種目からはずされたことから、中国の金メダル獲得は非常に厳しくなったのは確かです。しかし、中国フェンシング代表のリーダー、王健選手はきっぱりと「北京五輪の目標は金メダル」と語り、各種目で金メダルを目指していきたいと抱負を述べています。確かに男子フルーレ団体と女子エペ団体が北京五輪からはずされたことは、中国にとって非常に残念なことですが、中国は他種目でも金メダル獲得の力を十分に持っています。
女子サーブルのエースである譚雪選手は、スピードとずば抜けた爆発力が魅力。また左利きというのも武器です。18歳の時、世界選手権で金メダルを獲得しましたが、アテネ五輪では審判の誤審によって惜しくも2位に甘んじました。ここ数年、国内大会ではほぼ全て優勝し、国際大会でも高い実績を残しています。
男子では、フルーレの雷声とエペの王磊が中国の"ホープ"とされています。2004年、ブルガリアで行われた世界ユース選手権では、雷声をはじめとする中国代表が団体で金メダルを獲得しました。2007年に入ってからは、ワールドカップのドイツ大会とロシア大会でフルーレ個人の金メダルをとりました。
王磊は11歳からフェンシングを始め、2000年ワールドカップのフランス大会のエペ個人で銅メダル、2001年世界ユース選手権のエペ個人の銀メダルを獲得しました。また、2004年アテネ五輪では、準決勝でシドニー五輪のチャンピオンであるロシアのコロブコフを破り、決勝に進出しましたが、8対15でスイス選手に敗れ、銀メダルとなりました。
このほか、男子では朱俊や王敬之、女子の李ナーや仲維萍なども力をつけています。
中国フェンシング界のたゆまぬ努力によって、中国はだんだん強くなってきました。世界の強豪であるドイツ、ロシア、イタリア、フランスとの争いとなりますが、中国は金メダルを獲得する可能性がないわけではありません。また今年はホームで戦うということから、審判の誤審といった事態もないでしょう。
最後に、中国代表ではありませんが、中国とゆかりの深い選手、ラン菊傑のことに触れておきます。1989年にカナダのエドモントンに移住したラン菊傑は、地元でフェンシングクラブを開設し、選手を育ててきました。そして、今年50歳になったラン菊傑はカナダの代表選手として、北京五輪の女子フルーレに出場します。この「超ベテラン選手」の活躍にも注目したいと思います。
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