無錫は歴史の古い街です。呉という国の文化がこの土地でおよそ3000年余り伝わっています。このほど、無錫市が初めての「呉の文化祭り」を主催しました。今日はこの話題についてお伝えします。
3000年ほど前の周の時代に、周太王の嫡子、泰伯は、王位を譲り、その弟の仲雍と一緒に3000里旅して、無錫の梅里に定住しました。そこで人々を率いて、農耕を行ない、水利施設を設け、黄河流域と長江流域の文化の交流を促し、新たに呉の文化を作り上げました。ですから、無錫は、呉の文化の源ともいわれています。
初めての呉の文化祭りが、このほど無錫で行なわれました。その開幕式で、中国共産党無錫市委員会の楊懐西書記は挨拶し、次のように語りました。
「この祭りは、伝統的な文化を発展させ、無錫という街をアピールし、これで国内外における無錫市の知名度を高めたいと思います」
この祭りに参加するために台湾から来た中国国民党の呉伯雄副主席は挨拶の中で、次のように述べました。
「中華民族の一員として、そして同じく呉という苗字をもつ泰伯の子孫として、台湾からやって来ました。無錫市の呉の文化祭りに参加して、とても感激しています。台湾では、玄関に『至徳堂』『譲徳堂』と書いてある家は必ず、『呉』と言う名前の家で、先祖の泰伯の道徳を尊重して掲げています。先祖を見本とし、心をどのように修練すべきかを学ぶのです。我が家では泰伯の肖像画をすでに4世代続けて掲げています。一度もはずしたことはありません。このような、文化の力、血縁の結びつきは、誰も、それを切ることができません。」
泰伯への敬慕の念を表して、呉伯雄氏は内外から集まってきた呉の一族を率いて、泰伯の像に花を捧げ、お墓参りをし、世界各地から持ってきた土を墓の前に撒きました。
大まかな統計によると、呉の一族は海外も含めておよそ4000万人あまりいるといわれています。1980年代半ばから、一族の人々は毎年の清明節、4月5日前後に、無錫市に来て、祖先を偲びます。
香港の呉の一族の会の会長である、呉氏宗さんは「泰伯は私たちの永遠の模範である」と次のように述べました。
「泰伯の精神の真髄は謙譲と開拓です。帝王としての権力や権益を他人に譲りました。これは普通の人ならできないことです。しかも、泰伯はこれで満足せず、一族を率いて無錫のあたりに来て、新たな世界を切り開きました。謙譲と開拓、これは、調和の取れた社会の構築にはなくてはならないものです。謙譲は精神的文明で、開拓は物質的文明です。両方をうまく結び付けられる社会こそ、調和のとれた社会だと言えるでしょう」
また、南京大学美術研究院の呉為山院長も無錫にルーツ探しに来ました。呉さんは無錫市政府に頼まれて、ここの公園に無錫の精神をよく表す銅像を作ることになりました。そして、呉さんは泰伯の銅像を作ることにしたのです。なぜ、泰伯にしたのか、呉さんは、「数千年経ったが、泰伯の精神は今になっても現実的な意義を持っている」と言います。
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