オウンク族は、中国の55の少数民族の一つです。人口は、3万505人(2000年第5回全国人口調査より)。主に内蒙古自治区に居住し、一部は東北地方の黒竜江や北西部の新疆に住んでいます。
「オウンク」とは、オウンク語で、「大森林の中に住む人たち」の意味です。1950年代、大部分が牧畜業、農業を営み、少数の人は、狩猟生活を送り、原始社会の末期段階にとどまっていました。1965年、中国東北部を南北に走る山脈・大興安嶺の西側、内蒙古のアォルグヤ(オウンク語で、ポプラが生い茂るところの意味)で、オウンク族初めての民族郷が設置されました。オウンク族の人々は、森の奥深くで狩猟し、テントのような家に住み、トナカイを飼育していました。
それから40年近くが経った2003年、アォルグヤで大きな変化が起きました。一つは、国が発布した新しい法律によって、銃の所持が禁止されるようになったことです。オウンク族は、常に持ち歩いていた猟銃を、政府の専門機関に引き渡さなければなりませんでした。もう一つは、政府が、アォルグヤ近くの町、根河市の郊外に住宅を建て、オウンク族の永久的な住居として提供したことです。この年の8月、11世帯の37人が、代々住んできた山を離れ、これまでと違う生活様式で日々を送るようになりました。
一部のオウンク族は、山の奥に残りました。83歳のマリヤソさんは、その中の一人です。地元では物知りの長者として尊敬されているマリヤソさんは、この5年間、ずっと阿龍山という山の中に暮らし、トナカイを飼育しています。森は、ますます小さくなっています。動物の数も日一日と減ってきています。若者たちは、先祖たちが暮らしてきたこの土地をどんどん離れていきます。心を痛めたマリヤソさんは、こんな民謡を歌いました。
「お年寄りたちは、険しい道を歩いてきた。この道も若い世代が歩くべき道だ。しりごみしないで、怖がらないで、それに沿って歩いていこうよ。わたしの美しい祝福を道連れに」。
さて、40代のウィジャさんも、迷わず阿龍山の生活を選んだ1人です。その選択は、今どころか、20年ほど前になされていました。当時、ウィジャさんは、北京にある中央美術学院の大学生でした。大都会の生活になかなか慣れず、ホームシックになってしまったウィジャさんは、退学して阿龍山に戻りました。トナカイを飼育しながら、周りの風景や自らの暮らしを題材にする絵を描き続けてきました。
以前と比べ、山の中の生活は、ずっと楽になりました。発電所が建てられ、テレビも見られるようになりました。また、オウンク族の伝統的な技??白樺の皮による日用品と工芸品の制作、アォルグヤのオウンク族の結婚式、それにトナカイの飼育文化が内蒙古の無形文化財に指定されました。このことにより、地元の観光業が大いに盛んになり、山の中に暮らしているオウンク族をたずねて来る人は、後を絶ちません。(編集:GK)
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