今晩は、ご機嫌いかがでしょうか?今日は新しい年の最初の「中国昔話」の時間です。今年も頑張っていきますので、リスナーの皆さん、どうも引き続きよろしくお願いします。
で、今年最初の「中国昔話」は、清の時代の浦松齢というじいさんが書いた「聊斎志異」という本から「楽雲鶴とある男」というお話をご紹介いたしましょう。(雷曹)
「楽雲鶴とある男」ー1
むかし、あるところに楽雲鶴と夏平子という二人の仲良しがいた。二人は幼いときから近くに住んでいて、何をするにも一緒で、また初めての塾でも同じ机に座り、それは真の兄弟よりも仲がよかった。
で、夏平子は小さいときから頭がよく、十歳で詩を作れ文章も書けるという賢さで、地元では天才少年とうわさされていたほどである。そして楽雲鶴は、それをねたんだりはせず、何でも夏平子に学び、夏平子もこの仲良しには自分の知っていることを何でも教えたので、楽雲鶴も進歩が早く、かなりうまい文章を書けるまでになり、人々はこの二人のことを神の子供、つまり「神童」と呼んだりした。
しかし、そのうちに楽雲鶴は、どうしたことか塾の試験では思ったとおりの結果がでず、後の官吏試験には落ちてしまった。こうして二人は大人になったが、そのうちになんと夏平子が病に冒されあっけなく死んでしまった。夏平子の家は貧しかったので、死んだあとの事はすべて楽雲鶴がまかなったのである。
で、それからは楽雲鶴は、いくらかでも金が入ると、決まって死んだ夏平子の妻と子供に分けてやっていた。これを見た隣近所は楽雲鶴を褒め称えた。しかし、決して豊かではない楽雲鶴は、いつもこうして無二の友であった夏平子の妻と息子を助けていたので、自分の暮らしも徐々に貧しくなっていった。そのうちに貧しさのために楽雲鶴は学問を捨てなくてはならなくなり、仕方がないので少しのお金で小さな商いを始めた。こうして元からか賢かったのか、半年後に楽雲鶴はいくらかの金が手に入り、そのときから家計は徐々によくなり、親友であった夏平子の妻と息子にまとまった金を渡すことができたので、彼は安心した。
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