北京五輪のアーチェリー男子団体の試合は8月11日午後、北京五輪公園アーチェリー競技場で行われました。中国男子チームは、銅メダルをかけた3位決定戦で、222対219でウクライナチームを破り、今大会の目標である「ベストエイト」をはるかに上回る成績を記録しました。3人の代表選手の1人、セツ海峰選手(28)は、新疆ウイグル自治区出身の錫伯(シポ)族です。
錫伯族は、中国の55の少数民族の一つで、人口は19万人近くです。主に東北地方の遼寧省、吉林省、黒竜江省に住んでいますが、そのうち、3、4万人は北西の新彊ウイグル自治区イリの察布査爾錫伯(チャプチャル・シボ)自治県とその周辺地区に暮らしています。 セツ海峰選手は、察布査爾錫伯自治県で生まれ育ちました。
錫伯族の祖先は、北方の少数民族である鮮卑人と言われ、東北の大興安嶺のまわりで遊牧生活を送っていましたが、西暦1764年、清王朝の乾隆帝は、今の瀋陽を警備する錫伯族の兵士の中から若くて弓と馬術に優れた者1016人を選び、新彊の防備に当てよ、との命令を下しました。兵士たちは、家族を連れて、1年4ヵ月をかけて、イリにたどり着いたということです。
今の錫伯族は、先祖たちと同じく、馬術とアーチェリーが好きで、特に男性にとっては身に付けなければならない「技」です。錫伯族の家庭では、男の子が産まれると、かならず玄関で赤い糸を張った小さな弓をつるします。そして、5、6歳になると、馬術とアーチェリーの練習を始めます。
1995年、セツ海峰選手は、自治区のスポーツ学校に合格しました。そして「両腕を広げると身長より4センチ長い」という特長が地元のコーチの目にとまり、アーチェリーを専攻にしました。翌年、全国青少年アーチェリーのチャンピオンに輝きました。1999年、新疆アーチェリーチームに加わり、2001年、全国選手権大会で第3位を獲得し、中国チームの一員となりました。2004年のアテネ五輪で、個人12位となり、五輪における中国人の最高位を記録しました。この4年間、セツ海峰選手は、練習に没頭することでさらに腕を磨きました。
銅メダルを取った後、セツ海峰選手は、わざわざ新疆から北京入りし、現場で応援してくれた母親に感謝の言葉を捧げ、これからの試合も引き続きがんばって行く決意を明らかにしました。(編集:GK)
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