今晩は、ご機嫌いかがでしょうか?林涛です。
この時間は、清代の怪異小説集「聊斎志異」から「遵化のキツネ」、唐代の書物「広異記」から「お腹をすかした骸骨」、そして同じく唐の時代の本「朝野僉(せん)載」から「桑の樹」をご紹介いたしましょう。
まず最初は、「聊斎志異」から「遵化のキツネ」です。
「遵化のキツネ」
そのとき、河北の遵化には多くのキツネがいたという。そしてなんとある屋敷を占領するまでになり、その上、常に出てきては人々に害を与えていた。そこで町の人々は、寄って集ってこれらきつねを退治しようとしたが、キツネらはこれへの仕返しだと、あくどいことをするようになり、多くの人が怪我をした。それに町の役所も、これには手が出ないと、ただ人々に豚や羊をつぶしてお供え物に出し、キツネの怒りを抑えろと言うばかり。こうしてここら一帯はキツネのために大変だった。
と、ある年の夏に、丘という役人が遵化の長官の職に着いた。この長官は下役人からキツネの話を聞くとひどく怒った。
こちらキツネ、どこから聞いたのか、これまで何事もやり遂げないと気がすまないというこの長官のうわさを知ると、これは考え物だとみんなで相談した結果、歳をとったキツネが一人のばあさまに化け、長官に屋敷に来て家のものにこう告げた。
「わしはこの町のキツネの代表じゃが、長官さまに伝えてくれや。互いに恨みを買うようなまねはよしましょう。二日間もくれれば、わしは一族を連れてこの土地を去るからとな」
これに驚いた屋敷のものが、このことを長官に告げると、長官は顔をしかめてそのときは黙っていた。
翌日、長官は下のものを集め、役所にある大砲(おおづつ)をずべて出してこさせ、それをキツネ屋敷の周りに運ばせ、命を下して屋敷を攻めさた。もちろん、屋敷は瞬く間に吹っ飛び、ばらばらになったキツネどもが空から降ってきた。
そこで長官が目を細めてみると、一匹のキツネが怪我をして必死に逃げていくのが見えた。
こうしてこのときから、遵化ではキツネの害はなくなったワイ。
さて、それから二年たったある日、長官は出世したいために、腹心に金を持たせ都にやった。ところが、長官には都に人がいなかったので、しかるべき役人が見つからず、金を渡す相手がいなかった。そこで腹心は金を自分の遠い親戚である下役人の家に隠してもらっておいた。
数日後、どこからきたのか、あるじいさんが都の役所に自分の家族が殺されたと申し出、その上、かの長官が公金を横取りし、自分の出世を図るため、その金を都でばら撒こうとしており、その金は、いま一人の下役人の家に隠してあるという。これを受けた役所は、さっそくその下役人の家に行ったが、その金らしいものは見つからない。すると、かのじいさんがやってきて庭の樹の下を指差す。そこで役人たちがそこを掘ってみると、多くの金が出てきた。そこで役人たちがじいさんはと探すと、じいさんの姿はなかった。これには何かあると思った役人たちが調べてみると、金を包んだ袋に「遵化」という文字があったので、この金が、じいさんのいうとおり、かの長官のいる遵化から来たものであることがわかり、その後、長官の罪が明るみに出た。もちろん、遵化の長官は取調べを受け、そのうちに牢獄にぶち込まれた。
ある日、囚人となった長官は、老いたキツネが出てきて、一族の敵はとってやったという夢を見たので、このときになってキツネ屋敷を壊したとき逃げていった一匹のキツネが自分に仕返しをしたことを悟り、地団駄踏んで悔しがったというわい。
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