1964年、江蘇省丹徒県に生まれる。本名は劉勇。1981年、上海華東師範大学中文系に入学。卒業後、大学に残って教鞭を執り、同時に小説の創作を始めました。80年代後半から90年代半ばにかけて活躍した作家たちとともに「先鋒派」と呼ばれます。また、その作品は物語展開が難解であることや、文体、そして垣間見られる価値観が奇抜かつ斬新であることから「先鋒小説」などと呼ばれています。格非は1986 年、22歳の若さで登場した「先鋒派」の一人で、実験小説的な技法を駆使して数々の話題作を発表しました。代表作「迷舟」「褐色鳥群」など。邦訳には、桑島道夫訳「迷い舟」や『時間を渡る鳥たち』があります。
しかし、彼の現在の代表作といえるのは、「ブランコ」でしょう。
「ブランコ」はアメリカの詩人ヘンリー・テーラーの詩から刺激を受けて書かれた小説であり、原詩と同じ題名が使われ、各章のタイトル部分には中文訳の詩句が引用されています。それのみでなく、小説展開上重要ないくつかのプロットにも、詩句の引用が多く見られます。だが、格非は原詩を単に小説風に書き換えたのではありません。彼はテーラーに触発されたイメージを、自己の小説世界の中で、完全に別個の独立したストーリーとして展開しているのです。格非は中年にさしかかる彼ら中国知識人の人生の象徴をブランコの繰り返される動きの中に見いだしました。それは小説の骨組みにはっきりとした形で組み込まれています。
小説は妻の不倫の波紋を追う形で繰り広げられます。職業病で美しい顔を失う妻。不倫による妊娠で、生まれた子供の顔に浮き出るかも知れぬ他人の顔。その不安。この二つの顔もブランコの動きに似ており、一方が消えると一方が現れてきます。しかも最後には、その不幸な顔がすべてふっと消えてしまいます。これもまたブランコが上がりきったときにふっと止まるあの動作の暗示であるといえないでしょうか。
「ブランコ」にはこのほか、いかにも実験小説の先駆者、格非らしい文脈があちこちにちりばめられています。たとえば、主人公が旅の途上であるという設定ですが、これは格非の得意技です。今回の旅は大学時代の都市に戻った主人公の、ほんの数日間の出来事で、彼には次の目的地である武漢、前の旅先である「南方」が設定されています。旅を続ける李惟翰は自分の内面にわだかまる心理的敗北感や虚無を見つめながら、思い出の都市に住む妻、恩師、友人などに出会います。これらの人物は、彼らにとって当たり前の日常の仕草をしているのですが、その影には覆いようのない虚無が広がっています。これらを格非は容赦のない筆致で描いています。
小説の最後のシーンで、李惟翰は無邪気なブランコ遊びに切ない時間の流れを見ています。時間は二度と戻らないが、時には愛の思い出の瞬間とそっくりな状況を演出することもあります。まるで異なった時間ではあっても、再演される思い出の姿を通して、人間は現実の辛さに立ち向かっていけるのかもしれません。こういう考えに主人公が達したとき、格非は原詩の引用によって作品を締めくくります。換言すれば、一種の「癒し」への希求です。
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