中国と世界各国の文化交流が非常に頻繁になった今日、中国人は、さまざまなルートで外国の芸術や文化と触れ合う事が出来るようになりました。しかし、20年前、対外開放が始まったばかりの頃では、多くの中国人が外国の文化をあまり知りませんでした。
こうした背景の下で、当時、さまざまな海外の民謡を歌う朱明瑛という歌手が現れ、素晴らしい踊りと魅力ある声で多くの観客をとりこにし、朱明瑛ブームを巻き起こしました。1985年、彼女は、中国中央テレビ局の新年総合娯楽番組・「春節の夕べ」で河北省の民謡「回娘家(実家に帰ろう)」を披露し、中国十億人の視聴者を一度にして魅了しました。
「回娘家」
朱明瑛は、幼い頃から歌と踊りに非常に深い興味を持っていました。しかし、北京の貧しい家庭で育った彼女は、舞台を見に行ける機会など余りありませんでした。小学校2年生の時、先生から、有名な舞踊家・陳愛蓮の公演パンフレットをもらい、大変嬉しかったのを覚えているそうです。「私は、毎日、それをお守りとして持ち歩き、まるで、貴重な宝物を手に入れたかのように喜んでいました。この芸術への憧れは、私の少女時代の夢だけにとどまらず、一生かけて取り組んでいく大きな仕事になったのです」。
小学校4年生のとき、彼女は、一年間のトレーニングを経て、ようやく中国舞踊学校に入学し、その後の芸術への道を歩み始めたのです。
朱明瑛は、70年代に中国東方歌舞団に入った後、その才能をメキメキと表しました。彼女がステージに上がると、人々は、その素晴らしい歌と踊りから、目が離せなくなるのです。
彼女は中国東方歌舞団と共に、世界30カ国以上を訪れ、26の外国語で100曲の国内外の民謡を歌いました。エジプトで公演した彼女は、ステージで、地元の民謡「バサブサ」を唄い、観客から、盛大な拍手で迎えられたのだそうです。「外国の民謡を歌う時は、その国の言語や服装、それからお化粧の仕方を学ぶだけでなく、その国の民族性を理解する必要があります。特に、その国の普通の生活を知る事が、一番大事なのだと思います」。
今、朱明瑛さんは舞台から去り、その素晴らしい歌と踊りが多くの人々の心に深く残っています。
「青春」
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