今晩は、ご機嫌いかがでしょうか?林涛です。
こちら北京、いまは旧正月、つまり「春節」の連休中です。でも、この林涛は7日間も連休することは出来ませんので、休みのときは家でのんびりし、うまい酒と肴を楽しんでいます。
ところで、中国の北方ではお正月というと、伝統的な食べものとして最初に餃子があげられますので、この時間は餃子にまつわるお話などをご紹介しましょう。
餃子には2600年以上の歴史があり、その後、特に北方ではお正月の食事として「元日は餃子、二日は麺、三日は・・」といって正月の卓上での餃子の地位を決めていたようです。また五日のにも餃子を食べました。前漢の書物「礼記」には、米二、肉一の割合で具を作るというような紹介文があります。しかし、誰が餃子を始めて作ったかははっきりせず、いくつかの説があるようです。
まずは、昔の医者である張仲景だというのです。次のようなものです。
時は、後漢のころ、南陽郡の捏(ねつ)というところに生まれた張仲景は、南の長沙の長官になっていたが、ある年用事があって古里に戻り、地元を流れる白河という河の両岸にすむ民百姓が冬になって食い物に困り、その多くが痩せこけ、また耳が寒さのために爛(ただ)れ始めているのを見た。
「なんということだ!民百姓がこれまでひどい暮らしをしているとは思わなかった。わたしは医者、医者にとっては人の命を救うことが大事だ。いっそのことこの職を辞めて人々を助けるために尽力しよう」となんとんその年に長官を辞めてしまい、古里に帰って本来の医者の仕事をはじめた。そして次の冬が来ると、張仲景は弟子に白河のほとりにある南陽の東関というところに小屋を建てさせ、横にかまどを作らせその上に大きな鍋をのせた。
「先生、こんなところに鍋を置いてどうするのですか?」
「いいか、羊の肉、唐辛子と寒さを凌げる薬剤をこの鍋で煮るのじゃ?」
「え?それは・・?」
「何を難しい顔をしておる?」
「いえ・・・」
「それでこれらのものがやわらかくなったら鍋から出して細かく刻み一緒にして混ぜるのじゃ」
「それで?」
「それから小麦粉を水でこねて耳の形に引き伸ばし、刻んで混ぜたものをそれでしっかり包み、また鍋で煮込み、煮上がったら二つほどのそれを掬い汁と共に寒さと飢えにあえいでいる人々に配るのじゃ」
「配る?」
「そうじゃ、金などは取らん。わしは医者じゃ。人の命を救うはあたりまえのこと」
「わ、わかりました。でも、これはなんという名のものです?」
「そうじゃな。出来たものはかわいい耳のような形をしておるので、寒さをとる耳の汁という意味の去寒嬌耳湯としておこう」
ということになり、人々はこの熱々の「去寒嬌耳湯」を口にした。これは体の血のめぐりを良くし、寒さを除き、耳たぶが熱くなってそれまでの爛れを治した。その効き目があまりによかったのか、翌年からここら一帯ではこの「去寒嬌耳湯」を作って口にするようになった。その後、この「嬌耳」だけが作られるようになり、この「嬌耳」の「嬌」の字は「餃子」の「餃」と同じ発音だったことから、のちに「嬌耳」は「餃子」と呼ばれ、今に伝わった。もちろん、その形が平べったいことから平べったいた食べ物という意味の「扁食」とも呼ばれたことがある。
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