今度は、唐の太宗である李世民とかかわりがあるという説です。
時は唐代、太宗帝は肉団子を好んだが、脂っこいのが嫌いでなんとかしろと厨房に命じた。そこで厨房では刻んだ肉に野菜を混ぜて揚げたり煮たりしたが、団子の形がすぐに崩れてしまってどうにもならない。
「こまったなあ。どうしよう?」
「団子の形を崩さないようにするには何かで包むしかないぞ」
「そうだなあ。では小麦粉を水でこねて薄くしたものに包むか?」
「そうしよう。ではさっそく作ろう」
ということになり、厨房人は肉と野菜を刻んで混ぜたものを団子にし、それを小麦粉を水でこねてかなり薄くのばしたものでうまく包み、それを煮て皇帝に出した。
これをみた太宗帝は怪訝な顔をした。
「なんじゃこれは。団子ではないぞ」
そこで下のものが答える。
「申し上げます。厨房のものは、脂っこいのを避けるため、肉に少しの野菜を混ぜて団子とし、団子が崩れるのを防ぐために小麦粉でねったものを薄くして包んだと申しております」
「ふーん?では試してみよう」と太宗帝は箸をとりそれを口に入れた。
「うん、うん。確かに中は団子じゃ。うん、うまい、うまいぞ」
これを聞いて厨房は喜び、そのときからこれを出すようにした。このときからこの料理は、はじめは、中国語でしっかり包むのしっかりという意味の「牢」が使われ、団子は「丸子」だからそれを合わせて「牢丸」とよんだが、これがのちの餃子の前身だという。
どちらでしょうかね。わかりませんが、実は西北部の新疆地方でかなり昔の食べ物の化石みたいなものが出土し、それが餃子に似ていたというのですから、さあ、餃子は誰が編み出したものなのでしょう?
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