今からおよそ2000年前、中国大陸に「漢」という国があって、その皇帝、武帝が、病気のため亡くなった妃(きさき)を偲んで、悲しみに暮れていました。
これを見た大臣は武帝を慰めようと、シルクの布で妃の人形を作りました。ある日の夜、武帝の寝室で幅の広い白い布を張り、その後ろに蝋燭をともして、人形を操り、妃の姿を映し出しました。それを見て、武帝は大いに喜び、ふたたび国の政治に取り組む意欲を取り戻したのです。
これが、中国で「皮影(ピーイン)」と呼ばれる影絵の始まりといわれます。影絵が生まれた後、それを使って演じる劇・影絵芝居が現れました。役者(人形遣い)は舞台に張られたスクリーン(白い布)の裏で、牛やロバなどの皮でつくった、細い棒(普通は一体に三本)をつけた人形を操り、昔ながらのおとぎ話や神話などを演じます。人形は、各部位は糸で結ばれ、ちゃんと関節がつき、細やかな動きに対応できる作りになっているので、本当に生きているように見えます。そして、背後から強いライトを当てるため、色つきの影が鮮やかにスクリーンに映し出されます。それに銅鑼(どら)や琵琶、太鼓などによる伴奏が加わり、芝居を一層盛り立てます。
しかし、1980年代以降、ファンの高齢化に加え、テレビ、インターネットの普及で、劇場から人々の足は遠のき、影絵芝居は以前のような賑わいを失いました。そして現在、劇場はほとんどなくなっています。
しかし今、この「光と影の芸術」といえる影絵芝居を救おうと、北京影絵劇団のメンバーたちが取り組んでいます。そのうち一人、路宝剛さんによると、現在、人材の育成や外国人向けの創作など、いろいろ工夫しているそうです。
「北京には今、影絵芝居の劇場があまりないのですが、私たちは、影絵の素晴らしさをできるだけ多くの人に伝えたいと思って、幼稚園や学校などで定期的に公演を行っています。同時に、6人の若手職人を育てています。
来年は、北京でオリンピックが開かれ、海外から大勢の人が北京を訪れます。そこで今は、外国人でも見て分かるような作品を作っています。そのためには、セリフを少なくしたり、外国人がおなじみの動物やアニメの主人公を取り入れたりという工夫をしています。」
北京影絵劇団をはじめ、全国各地で影絵に取り組む職人たちの知恵と美的感覚、それに中国の民俗文化を凝らした影絵、中国の誇る伝統文化が、これからも受け継がれるよう願っています。(鵬)
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