白樺の皮でできている手作りの工芸品はもともと中国北部の少数民族の一つーー鄂倫春族(オロチョン族)の伝統的な文化の一つですが、生活スタイルの変化に伴い、この技術を持つ人がだんだん少なくなりました。そこでこの貴重な民族文化を救うため、オロチョン族の人たちは白樺の皮で手作りの工芸品を作ろう、勉強しようと決心したのです。
ここは中国北部の内蒙古オロチョン族が住んでいる地区トジャミ村のある大講堂です。ここで60代の女性が村の若い女性たちに白樺の皮の工芸品の作り方を教えています。先生をつとめる女性は実演を交えながら、技を教えています。白樺の皮一枚、剪み一つ、糸を通っている針一本で、あっという間にきれいな白樺の桶が出来上がりました。この方はアジルンさんというお名前で、今年68歳。この村の白樺の手工芸品の名人です。彼女の家を訪ねたら、白樺の皮で作った箱、桶、缶などさまざま作品が置いてありました。また想像力を発揮し、小船と揺りかごも作りました。これらの工芸品は木の原色のほか、色とりどりの染料も施されています。
アジルンおばさんの話では、オロチョン族は昔、山の奥に住んでいて、狩猟に頼って、生活を営んできました。当時、彼らが住んでいる家のまわりには白樺が生い茂っていました。白樺の皮は柔らかくて、耐久性があるため、オロチョン族の人々は白樺の木の皮を剥がし、生活や生産に必要な道具を作りました。
しかし、1950年代ごろから、アジルンおばさんはほかのオロチョン族の人とともに、山奥から平地に引越して来ました。各種生活器具は市場で買えるにもかかわらず、アジルンおばさんは手工芸品の技を捨てたくなくて、毎日自ら白樺で三つの工芸品を作ると自ら約束しました。しかし、平地にある家から山に登って、白樺の皮をとるのはなみたいていのことではありませんでした。
アジルンおばさんは「白樺の皮を採りにいくには山道を5キロ近く登らなければなりませんでした。いつも三、四人の女性で一緒に行くのですが、食べ物を持つ人や水を持つ人など役割分担をしていました。今日はこの山、明日はあの山、取った白樺の皮を自分で担ついで山を降りなければなりません。重いんですよね」と述べました。
アジルンおばさんは年をとるにつれて、目も悪くなってきたし、手も震え始めました。でも白樺の技への執念は変わりがありません。彼女は「これは癖になりますよ。今日二つ作ったら、あしたは三つ作りたい。手が痛くても一日休んだら、翌日また作りたくなります。寒くなったら、もうできなくなりますから、まだ寒くならないうちに、急いで作りたいです」と話しました。
白樺の皮の手工芸品が一番活躍していた時代は50年前でした。当時生活が貧しくて、日用品はほとんど白樺の皮で作られていました。しかし、ここ数年、経済の発展につれて、オロチョン族の人はほとんど普段の生活用品をお店で買うようになり、白樺で日用品を作る人は少なくなっています。アジルンおばさんはこの技術が失われていくことをとても心配し、若い人にこの伝統文化を教え始めました。今アジルンおばさんには5人の弟子がいて、うれしいことに、この5人の女性は皆大変優秀です。わずか数年で、彼らはすでにアジルンおばさんの技をすべてマスターしました。
弟子の一人で今年38歳の何暁静さんは「この技を学んだのはオロチョン文化を伝承するためです。アジルンおばさんに万が一のことがあったら、白樺の工芸品を作る人がいなくなるのは残念なことですから、今はしっかりアジルンおばさんから勉強し、また後世にも伝えていきたいです」と語りました。
トジャミ村の政府はより多くの人にこの技を身につけてもらおうと、村の大講堂で職人養成クラスを設けました。アジルンおばさんが先生になり、村の若い人たちに手芸を伝授しています。ここ数年、トジャミ村の観光業はどんどん発展し、多くの観光客が訪れています。多くの人が白樺の工芸品に興味を持ち、お土産に買って帰るそうです。これは白樺の芸術品の技の発展にとって、大きな原動力となります。トジャミ村の阿東副村長の話では白樺の工芸品の売れ行きは順調で、わざわざ買い付けに来るお客さんもいるそうです。この伝統芸術は地元経済の発展をも促しました。
阿東副村長は「トジャミ村は経済が遅れており、農牧民の年平均収入は1000元から2000元ほどしかありません。この芸術を通じて、地元経済の発展を促したいです。ここにはこれといった産業がないのですが、白樺の皮の伝統技術の基礎がありますから、ここからスタートしやすいというわけです」と抱負を語ってくれました。
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