玄奘三蔵といえば、ピンと来ない方もいるかもしれませんね。でも、三蔵法師といえば、日本のリスナーの皆さんは、多分知っておられる人も多いと思います。日本では、つい最近、フジテレビで放送された『西遊記』がヒットしましたし、中国では、毎年のように、テレビドラマ『西遊記』が放送されるほど、西遊記の中の人物は、国境を越えて、有名人であることは間違いないと思います。しかし、小説というものは、あくまでもフィクションです。西遊記に出てきた人物には、実在しているのは玄奘三蔵しかいませんでした。
では、『西遊記』の三蔵法師のモデルである玄奘三蔵は一体どんな人物でしょうか。
玄奘三蔵は、600年または602に生まれ、664に亡くなりました。中国の隋から唐へ代わった時代に生き、唐時代に盛名を馳せた仏法僧です。13歳のときに僧になり、法名を玄奘と呼ばれるようになりました。玄奘の修行が深まるにつれて、仏法の教えに疑念を抱くようになりましたが、各地の高僧がそれぞれ異なる自説を振り回していたので、玄奘の疑問は解くには至らなかったのです。仏法の真相を追究し、それをどうしても解きたいと思った玄奘は、インドにおもむき、教義の原典に接することを決心しました。
しかし、当時、外国に行くことは許さなかったのです。玄奘は27歳のとき、国の禁止令を犯して密出国することにしました。玄奘の旅は、灼熱のタクラマカン砂漠や厳寒の天山山脈を越える苛酷な道のりでした。三年後に、ようやくインドにたどり着いたのです。インドで色々勉強し研究した玄奘三蔵は、サンスクリット(梵語)の仏経原典657部を持って、44歳の時にようやく長安の都に帰ってきました。
玄奘の仏法を求める旅は、合わせて128ヶ国を通過し、3万キロに及んでいたと言われています。長安に帰ったきたとき、当時の皇帝唐太宗の大歓迎を受けました。帰国後、玄奘は、仏典の翻訳に没頭し、大般若経600巻をはじめ、74部1335巻の仏教経典を翻訳しました。それでも、持ち帰った経典の約3分の1しか訳せなかったといいます。
このほど、第三回玄奘三蔵国際学術シンポジウムが四川省の成都で開かれました。このシンポジウムでは、世界各地からの学者が集まり、玄奘三蔵の貢献などについて討議しました。その中で、現実の玄奘三蔵が『西遊記』の中の三蔵法師とは、あまりにもイメージが違うという意見もありました。本当にそうですね。現実の密出国に対して、小説の中の三蔵法師は唐太宗と兄弟の契りを結んでから、盛大な儀式を行って、国境まで送られたのです。そして、人物の性格もそうです。『西遊記』の中の三蔵法師は物怖じな人で、化け物をいい人だと見違うほどあまり判断力のない人です。いずれにせよ、小説の中であろうと、現実であろうと、玄奘三蔵は実に魅力的な人物です。1000年あまりたっていても、人々に慕われています。
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