次も古井貢酒のいわれです。
道教の始祖、その名は李耳、今では老子と呼ばれていますが、実は李耳は今から2300年前に、減店でその杖を以って地上に線を引き、溝や谷を造っていたそうで、老子の杖によるものですから、杖が触れたところからは泉が噴出し、その水でおいしい酒が造れたと言います。
また、後漢の末期、かの曹操はここ亳州で、漢の献帝のため妃選びをし、献帝をつれて町や村を回り美しい娘を捜し求めていました。
と、ある村に来て、ある娘がなんと土造りに壁の上に座っていたのを見た献帝、急に不機嫌になり「なんじゃ?なんというところにいるんじゃ?あんな娘はだめじゃ!」と言いました。これを聞いたその娘、不意にすばらしく美しい乙女の姿に変わり、「暗君とはあんたのことよ」と言い残し、微笑みながら近くにあった井戸に身を投げ消えてしまいました。実はこの娘、当時とても名の知れた"清風仙子"と言う仙女で、このような無能で贅沢三昧な皇帝をもった漢の王朝はまもなく滅びることを知り、わざと献帝の前に現れ、漢の王室を馬鹿にしたのです。で、この仙女が飛び込み姿を消した井戸ですが、このときから井戸水はとてもおいしくなり、その水で酒が造られ始めたのですって。
いろいろありますね。謂れというのは・・・。
時は戦国時代。ここ減店に一人の美しい娘がいた。かわいそうに娘は八つのときに父母をうしない、その後、17になるまでは仕方なく兄と兄嫁について桑の葉を摘み、蚕を飼って苦しい生計を立てていたという。
とある日、不意に殺し合いの声や音が聞こえ、怪我をしたらしいある武将が死に物狂いで逃げてきたので、娘がその後ろをみると、遠くから追ってが馬に乗ってくるではないか。
「そこの娘、追っ手がそこまで来ておる。どこかにかくまってくれ。この身は死んではならんのだ」
「ではそこの井戸の中へ」と娘は、水汲み用の轆轤(ろくろ)にその武将をのせ、井戸の中に隠した。そこへ追っ手がきた。
「そこの娘!いましがた怪我をした男がここへ逃げてこなかったか?」
「はい!その怪我をした方は、あちらの方へ走っていかれましたわ」
「なに?あちらとな!ものども、やつの後を追え!」と追っては瞬く間に遠くへいったしまったワイ。
しばらくして追っ手が戻ってこないのを見た娘は、やっとのことで井戸からかの怪我をした武将を引きげた。
こちら娘に助けられた武将、「すまん!この礼はきっとするぞ」と言い、ここは減というところだと知るとどこか走っていった。
さて、その半年後に、一国を打ち立て、今は王となったかの武将が減の地に来て、命の恩人であるかの娘を宮殿に連れ帰り、なんと自分の后にした。この王と后は仲がよく、心を合わせて国を治め、この国はかなり栄えたと言う。
のちに王は死に、これを悲しんだ后の止まらぬ涙が王の墓を押し流してなんと井戸となり、后は自分もその場で死んでしまったという。と、この井戸だが、その水はとても甘くおいしいので、のちの人はこの水で酒を造ったそうな!!はい、おしまい!!
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