のちに西鳳酒とよばれた柳林のお酒は、20世紀に入ってからも衰えず、海外に進出したんですよね。1910年の南洋勧業会ではシルバー賞に輝き、1915年のパナマ万国博覧会では最高賞を獲得し、新中国成立後の1952年の全国コンクールでは中国の四大名酒の一つとなっています。そして1955年には今は亡き周恩来首相の配慮の下に、地元には大型の醸造工場ができており、いまに至っています。
なにはともあれ、私から言えば、西鳳酒は幸せですよね。
ではここで、この西鳳酒が柳林酒と呼ばれたときのお話とでもいいましょうか、それを一つご紹介しましょう。これは「唐会要」という史書にあったものです。
時は唐の時代。儀鳳年間のある春、西安で文官の任免勲階などに関することをつかさどっていた裴行険という大官が、帰国するペルシャの王子を見送り、かのシルクロードを西に向かい、鳳翔県の西にある亭子頭という村の付近に来た。すると、道の両側で、多くの蜂や蝶が翼を動かし飛べないでいるのを見て不思議に思った。
「うん?どうしたんじゃ?蜂や蝶は毒にやられたのか?おかしいのう!誰か調べてまいれ!」と部下を遣った。
そこで部下は早速、しばらく行ったところにある柳林舗まで来た。するととてもよい酒の香りがしたので、うとうととなるのをこらえ、、そこにある酒造りの工房に入って聞いてみたところ、この工房では、地下にある酒蔵からこれまで寝かせてあった酒を取り出したところだという。
「う潤オん!これはいい香りだ。香りだけで酔いそうだわい。そうか、この強い香りだけで蝶や蜂が酔っ払ってしまったのじゃな。そういうことか!」とことの訳が分ったので、その酒を一樽もらって早速戻り、このことを裴行険に報告した。
「いま戻りました。申し上げ間する。実はかくかく云々・・・・」とその酒を差し出した。
これを聞いた裴行険は、「ほほ潤オ!そういえば、どうりで美味い酒の香りがするのとおもったわい!これがその酒か!うまそうじゃのう!ひひひ。うん!この香りを嗅いただけで旅の疲れも取れそうじゃ!ひひひ!」と喜び、"客を送って亭子頭に来ると、蜂は酔い蝶は舞い上がれずいた。これぞまさにめでたきこと、素晴らしや柳林の酒、"という意味の詩をのこしたわい。
そしてこの酒をのちに都に持ち帰り、時の皇帝し献上し、皇帝は大いに喜んだそうな!!で、この裴行険は、地元でこの酒を多いいに食らったのでしょうね。それは書いてないけど!でもせっかくだからね!はい、おしまい!
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