お酒は使う材料で穀物酒と果実酒に分けられますし、製造法の違いでいいマスト、醸造酒と蒸留酒に分けられます。勿論醸造酒の方が蒸留酒より図と先輩で、醸造酒の7000年に対して、蒸留酒はせいぜい1000年です。
この醸造酒も最初の頃は酒を飲むというより、酒をすすったのです。つまり、酒の汁と糟を一緒に食べていたわけで、今の甘酒と似ています。これを濁酒、にごり酒、「醪」といい、糟をしぼりとって、汁だけにしたものを清酒、清らか酒、古書では、「障ヤ」とか「酉票」といっています。
お酒は農業の振興とほぼ同時に生まれています。その頃はありあまるほどの食糧があったとは思えません。それなのに、尚もお酒を作るために穀物を使うというのを腑に落ちない点です。でも当時のお酒といっても、実は、ご飯に味付けを下ぐらいで、知るも糟も一緒に食べていたので、腹を満たすという点では、穀物の役目を果たし、その上、美味しくいただけるので、ますますもって、酒づくりは盛んになっていったわけです。
では、今のように汁と糟を分離するようになったのはいつのことでしょうか。実はこの面での資料はあまり十分でないので、はっきりしたことはいえませんが、紀元前11世紀、今から3000年ほど前の周代には、かすを搾り取ったお酒があったことは、確かのようです。
古書の『周礼』に「清酒」という文字があり、清酒は、醸造したお酒を更に搾り、汁と糟を分離した酒でしょう。この種の酒は、恐らく神を祭る行事、祭礼と関係があるようです。古書の記載を見ますと、昔の人々は神に酒を進める方法として、チガヤをもって器の口を閉ざし、酒がチガヤを湿らし、更にチガヤを返して汁が濾過される、これを象徴的に神がお酒を飲んだとしたのです。恐らくこれこそ汁と糟を分離させた最初の方法ではないでしょうか。
こうして出来た醸造酒が日本の清酒であり、中国の紹興酒です。今から300年ほど前の清の康煕年間に編纂された『会稽県志』に「越の酒、天下にまかり通り、その品種繁多なり、中でも老酒特に良し」とあります。ここでいう越の酒とは紹興で作られる酒です
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