今はなき日本の西園寺公一さんは、多くの資料を調べ、「紹興酒の歴史は4000年以上」と指摘しています。また、2000年前の春秋戦国時代、紹興での飲酒の風習はすでに相当普及しており、臥薪嘗胆で知られる越王勾践が、酒を以て、子供を生むことを奨励したことがその証拠でしょう。
下さって南北朝時代には、銀の器に入ったほど上等な「山陰甜酒」、山陰の甘酒が登場するまでになります。紹興は首都の臨安に近い上、かさの税金が南宋の主な財源であることもあって、政府から支持され、紹興酒は大きな発展を遂げ、当時の関係資料を見ますと、醸造の必要で、地元の水田のうち、四割が咲けを作るための原料であるもち米を栽培していたといいますから、醸造業がどれほど発達していたかが伺い知れましょう。清代に紹興酒は南洋一帯にまで輸出され、もともとアルコール度の低い酒を好まない満州族も、紹興酒だけは好んでのみ、清朝五代目の皇帝康熙帝は、昭光の酒造り職人を宮廷に呼び寄せ、宮廷で紹興酒を作らせたと言われます。
紹興酒は結婚披露宴に欠かせない酒です。1922年、清朝ラストエンペラーの溥儀氏の結婚式には、紹興から四十樽の紹興酒を注文したとのこと。
紹興酒がなぜこれほど喜ばれているのでしょうか。まず言えることは色が澄んだ黄色で、香りが高く、味は醇厚でその上アルコール度が低く、栄養に富んでいる事が上げられます。また、紹興酒は料理に欠かせない調味料でもあり、漢方薬の調和にも使われます。水、醸造技術と切り離すことはできません。原料は質の優れたもち米で、それもその年の新米でなければなりません。醸造の時期は冬が最も適しており、醸造に用いる水は会稽山に源を発する鞘卲ホという湖、しかも、冬の湖心の水がもっとも好ましいと言われます。
冬は湖の水は温度が低いので、水中の浮遊生物や雑物が少ないからよいと言うわけです。
鞘卲ホの水質は硬軟が適度で、その上、微量の鉱山物質が含まれ、これが醸造過程で生ずる微生物の成長を助け、紹興酒に甘みを持たせる原因だと言われます。
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