オーストリアは、ウィンタースポーツが盛んな国の一つで、冬季オリンピックでも常に上位を占める存在だった。そのオーストリアは1960年、第8回大会の招致に動いたが、アメリカのスコーバレーに敗れた。これを受けて、1964年、第9回大会では、より積極的な招致活動を展開。カナダのカルガリーとフィンランドのラハティーを破り、ついに開催権を獲得した。
インスブルックは、オーストリアの南西部にあり、アルプス山脈のふもとにある。海抜570メートル、交通が便利で気候もよく、観光とウィンタースポーツには最高の絶好の地である。市内には、1万人収容の体育館があり、アイスリンクとスキー場も万全の準備を整えて、大会を待った。組織委員会も、準備作業が完璧だと自信満々だったが、思わぬアクシデントが大会を襲う。大会直前になって、気温が急に上がり、市内はもちろん、郊外の雪も一気に溶けてしまったのだ。オーストリアは、緊急に軍隊と学生を動員して、山間に積もった雪を運ぶ作業を行なった。そのかいあって、大会は無事、予定通り開催されたものの、積雪の少なさのため、事故も起きた。ボブスレーに出場予定だったミールヌイスキー選手(オーストリア)とスキペキ選手(イギリス)が、雪量の不足したレース場で練習を行なったため、事故を招き、命を落としたのだ。1924年に冬季オリンピックが始まって以来、最悪の痛ましい事故となった。
大会は、1964年1月29日から2月9日にかけて行われた。37の国と地域から1091人(女子が200人)が大会に参加。6競技34種目で争った。選手数が史上初めて1千人を超えた。朝鮮、インド、モンゴルが初めて選手を派遣した。
旧ソ連が、前の2大会に続き、強さを見せ、34個の金メダルのうち、11個を獲得して、メダルランキング1位。開催国のオーストリアが2位。ノルウェーが3位に入った。
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