1940年と1944年に開かれるはずだった冬季オリンピックであったが、第2次世界大戦のため、開催できなかった。
1948年、ロンドンで戦後初の夏季オリンピックが開かれる。その際、IOC・国際オリンピック組織委員会が冬季大会もロンドンで行うよう提言したが、ロンドンが拒否した。その後、スイス政府の推薦により、スイス・サンモリッツが開催地に決定する。1928年の第2回大会以来、2度目の開催。冬季スポーツ界の注目が20年ぶりにサンモリッツに集まることになったのである。2度目の五輪開催はサンモリッツが初めて。ちなみに、その後、同じく"2度目"を経験した都市は、アメリカのレークブラシッドだけで、第3回(1932年)、第13回(1980年)を開催した。
28の国や地域から669人(女子選手77人)が出場。旧東西ドイツ、日本は、第2次世界大戦を発動したことから大会出場は許されなかった。アイスランド、デンマーク、レバノン、チリ、韓国が、冬季大会に初めて出場した。
大会は1月30日から2月8日にかけて開かれた。過去と同様、4競技が設けられ、種目数が22に増えた。
メダル数は、冬季スポーツの強豪、スウェーデン、ノルウェーがいずれも金4個、銀3個、銅3個を獲得した。そして、スイスとアメリカが金3個、銀4個。残る8個の金メダルは、フランスとカナダが2個ずつ、オーストリア、フィンランドー、ベルギー、イタリアが1個ずつ分け合った。
スイスは、時計生産の発達した国である。競技場には、精密で巨大なタイマーが取り付けられた。この"正確なタイマー"は今後、オリンピックに欠かせないものとなった。
大会では、選手村が作られず、選手は試合会場に近いホテルに滞在した。このことから、第5回サンモリッツ大会は『ホテル大会』と揶揄されている。
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