日本の東京は第12回大会の開催権を得たが、第2次世界大戦の戦火の広がりのため、開催できなくなった。戦争の廃墟から立ち直った日本は、直ちに第17回大会の開催を申請したが、イタリアのローマが開催権を獲得した。その後、日本は、続く第18回大会の誘致に動き、結局、ベルギーのブリュッセル、オーストリアのウィーン、アメリカのデトロイトを破り、開催権を得た。これはアジアでの初めてのオリンピック開催となった。
日本政府とスポーツ界は、準備作業を非常に重視し、インフラ設備、特に交通インフラの整備を重点的に行った。また、当時の金額で30億円を投入し、7万5千人収容の東京国立スタジアムを含め12の大会会場を建設した。
大会は、10月10日、東京国立スタジアムで開幕、日本の昭和天皇らが出席した。開幕式では広島に原爆が投下された昭和20年8月6日に生まれた早稲田大学の坂井義則が最終ランナーを務め、平和を象徴する聖火台に火を点した。
大会は、19競技163種目が設けられ、10月10日から24日まで続いた。93の国や地域から5140人(女子683人)が出場。アルジェリア、カメルーン、ゼネガルなど13ヶ国が初登場。
1952年旧ソ連が初めて五輪に参加して以来、アメリカと旧ソ連の『2強対決』は、世界の注目を集めていた。1952年は旧ソ連が破れたが、1956年、1960年の2大会連続して旧ソ連が勝利。そして、東京大会はアメリカが金36個、銀26個、銅28個で金メダル数1位となった。日本の金メダル獲得数は16個で、アメリカ、旧ソ連についで3位となる。
今大会は、アメリカの衛星シンコム3により全世界に衛星中継された。これは、史上初めてのことだ。
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