アテネ金メダリスト劉翔が帰ってきた!
今年2月15日、足首のケガをしてから、多くの中国陸上ファンをヤキモキさせてきた劉翔。
3ヶ月の休養を経て、今年5月に行われた国際陸上連盟グランプリに出場。そして2つの大会連続して、110Mハードルの"金"。甘いマスクと軽快なトークで人気の劉翔だが、今回は"結果"で完全復活をアピールした。
2004年アテネ五輪。110mハードルで12秒91の世界タイ記録を出し、一気に世界の舞台に踊り出た劉翔(1983年生まれ・上海)。健康的なイメージ、抜群の実力、負けず嫌い。テレビ出演をすればその明るくさわやかなキャラクターが人々に支持され、今やタレントなみの人気を誇る。
2001年のユニバーシアード北京大会の110mHで初の頂点。その後、アジアでは「敵なし」ながら、世界ではなかなか勝てずにいた。しかし2004年の陸上グランプリ大阪大会。ここでハードルの第一人者アレン・ジョンソンを破り、世界大会での初優勝。そしてその年8月のアテネ五輪で13秒を切る世界タイ記録を出し、ついに世界最高の栄誉を手にしたのである。
しかし、彼に課せられた目標はまだ先にある。もちろん、2008年に控える母国開催の北京オリンピックで金をとることである。その「生涯最大の目標」まであと2年余り…。2006年シーズンを迎えようという、その矢先の2月15日。劉翔は階段から飛び降りたときにアキレス腱を痛めるという不注意のケガでトラックを離れざるを得なくなった。結局、大切なスタートレースになる予定だった3月の2006年世界室内陸上選手権(モスクワ)にも出場できずに終わる。
劉翔がいないレーンは、中国人にとってあまりにも寂しい。陸上ファンのみならず、中国人全てが彼の回復を祈っていたといってもいいだろう。
そんなファンの期待にこたえて、劉翔は帰ってきた。復活の舞台は、劉翔が初めて世界の頂点に立った大阪だ。2006年国際陸上グランプリ大阪大会で、多くのファンが待ち望んでいた劉翔の"飛翔姿"が復活…見事、金メダルを獲得した。そして次の米・ユージン大会で劉翔は、去年の世界選手権チャンピオン、フランスのドゥクレ、アメリカのベテラン、アラン・ジョンソンを破り、優勝した。この大会は初めて「世界の3強」が揃った状態で優勝した点で、特筆すべきである。しかし、彼はこう言う。
「私にとってのライバルは大勢いますよ。アラン・ジョンソンやドゥクレはもちろんですが、他の国にも強い選手はまだまだいます。でも最大のライバルは、なんと言っても自分自身です。トレーニングでやれたことを、実際のレースでやれるかどうか…それがうまくいきさえすればいいんです。」
ケガによる戦線離脱は残念ではあったが、収穫がなかったわけではない。休養中、劉翔は私たちのインタビューにこう答えている。
「いつもいい状態を保ち、良い成績を出せるわけじゃないです。だから、このような起伏があっても悪くないと思うんですよ。これまで緊張の連続でしたから、このケガで少し気持ちを緩めることができるし、むしろ今後の向けた調整ができるようになりました。」
月並みな言い方ではあるが、このケガで、劉翔は精神的により成長した。自分のおかれた状態を冷静に見つめ、「2008」という最大の目標に向けて、一つ一つ、パズルを組み立てていく・・そんな『自信に対する客観的な目』を養えたといってもいいかもしれない。
さて、この劉翔の登場が世界に与えたショックは相当なものであった。飛び込み、卓球、バトミントンなどと異なり、陸上は中国勢、またアジア全体にとって決して得意な競技ではない。劉翔がアテネ五輪で世界をあっと言わせて表彰台のトップに登ったとき、世界の陸上界の中国陸上に対する認識を一変させたことはいうまでもなかろう。
アメリカのベテラン、アレン・ジョンソンは、110mハードルの「王者」だった。これまで4度、世界選手権を制したアレン・ジョンソンは、劉翔にとっても憧れの存在。しかし、アテネ五輪以降、トラック上で若い劉翔がアレン・ジョンソンの前を走ることが多くなってきた。アレン・ジョンソンは劉翔について聞かれ、次のように語った。
「俺が劉翔をどう見るかって?うん・・彼の成長は驚くほど早いねー。彼は今まさに上りつつある輝かしい星・・・私のようなのはだんだんと色褪せていくんだ・・」
口ではそう言っても、彼が劉翔の後塵を拝するつもりがないことはもちろんだ。今後、国際陸上連盟スーパーグランプリ、陸上ワールドカップシリーズ戦など世界大会が目白押し。アレン・ジョンソン、ドゥクレらとの「世界一」をめぐる戦いはまだまだ続く。ただ、今、劉翔に必要なのはそれら大会のメダルではない。レースを通じて、コンディションを保ち、さらに『速く』を求めて、レベルアップすることだ。中国陸上チームの??勇総監督は、自信を持ってこう言う。
「劉翔には、まだまだ潜在力があるんですよ。しかも、それは僅かではない・・伸びしろは、まだまだ無限です。この点に関しては、断言できますよ。」
劉翔の目標はただ一つ。2008年の北京五輪での金メダル。それ以上でも以下でもない。抜群の実力と成熟した精神面によって、劉翔は今後、更なる飛躍のストーリーを書き続けることは間違いないだろう。
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