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「日本の自治体職員在中国 加油」、引き続き新潟県の飯田さんです。今回は、新潟と中国との交流の絆、そして上越の歴史の旅をお届けします。中日国交正常化実現の立役者である田中角栄氏が、地元ではどのように語られているのか、佐渡トキ保護センターを拠点に展開された中日の協力物語とは。北国街道の旧宿場町生まれの「上越歴女」、飯田さんの熱い語りをぜひお聞きください。
今でも、新潟県人の食べ物や生活のシーンにその面影を残す戦国武将の上杉謙信、夜桜が有名な高田城、日本最古のワイン蔵、何故県庁所在地は新潟市になったのか…スキー、雪、米、日本酒という紋切型の新潟イメージに満足できない飯田さん。「今は、上越エリアは皆さんにとって、印象が薄いようですが、400年前(日本の戦国時代)は越後(現・新潟)の中心は上越でしたよ」と、今回は思いっきり、故郷・上越の歴史の旅へと案内してくれます。
新潟特産の調味料「かんずり」を手に紹介する飯田さん
■飯田郁子さんのインタビューから
聞き手:1972年、新潟県出身の田中角栄首相が訪中して、中日国交正常化が実現しました。今後の両国の関係発展について、飯田さんはどのような思いがありますか。
飯田:これまで以上に、細く長く、良い意味で淡々と、わたしたち民間レベルで交流を続けていきたいし、続けなければいけないと思っています。いま日本に多くの中国の方が遊びに来てくれているので、日本から、特に若者に中国へもっともっと遊びに来て欲しい、中国でご飯を食べて、どのように生活しているのか見て欲しいと思います。
聞き手:日本最古のワイン蔵が新潟にあるのですか?
飯田:はい。1890年に大地主・川上家の6代目・川上善兵衛が開設しました。善兵衛が自宅の庭園に鍬を入れ、葡萄園を作ったことが始まりでした。当時、豪雪と度重なる洪水で小作農たちは苦しんでいました。なんとかしたいと考えていた善兵衛は、親交のあった勝海舟に相談。ぶどう酒をふるまわれ、「ぶどうは荒れた土地でも栽培でき、田畑をつぶさずに済むため、新しい産業として農民救済にもつながる」と考えました。
創業当時は、海外から苗木を輸入し植えつけ栽培していましたが、うまく栽培することができませんでした。そのため、1922年6月から気候風土に適したぶどう品種を求めて品種改良を開始。1万311回の品種交雑の中からマスカット・ベーリーA、ブラック・クイーン、ローズ・シオター、レッド・ミルレンニューム、ベーリー・アリカントAなどをはじめ22品種の優良品種を世に送り出しました。これらの品種は現在全国各地で栽培され、日本ワインの主力品種となっています。このため、善兵衛は「日本ワイン葡萄の父」と呼ばれています。
このワイナリーでは現在もワインを作っており、試飲・購入も可能。ワイン蔵も見学可能で、雪を利用した石造りの蔵は夏でも真冬を体験できますよ。
岩の原ぶどう園<http://www.iwanohara.sgn.ne.jp/about/index.html>
【プロフィール】
飯田 郁子(いいだ あやこ)さん
新潟県妙高市(旧新井市)出身
2008年 新潟県庁入庁
2008年~2011年 病院局(県立病院)勤務
2011年~2014年 文書私学課(現 法務文書課)勤務
2014年4月~2015年3月 自治体国際化協会(CLAIR)本部に派遣研修
2015年4月~ CLAIR北京事務所所長補佐として、北京駐在
この3月末に日本に本帰国する予定
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