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書道美術館「驥山館」評議員・川村暢亨さんに聞く

2016-11-01 17:54:39     cri    

 聞き手:王小燕

 今回のゲストは、第5回CRIラジオ孔子学堂秋季キャンプで中国を訪れた川村さんです。

 実家は長野県の書道美術館「驥山館」。日本を代表する書家・川村驥山(1882-1969)が長野県に疎開した時に、地元有志の誘いにより、1961年に長野市に作られた施設です。

 3歳から書の稽古を始め、書に囲まれる環境で育ちました。しかし、子どもの時は「書の練習をしているというと、ネクラというイメージがあり、堂々と人には言えなかった」と笑いながら振り返ります。

 「うまい字」と「良い字」を区別し、いつかは「良い字」が書けるよう精進しています。「書と言いうと、中国文化と切り離せない」と言い、今年から本格的に中国語の勉強を始めました。

 こんな川村さんが今回参加したキャンプには、8カ国の代表が出席しています。この中で言うまでもなく、書がダントツにうまいことから、いつの間にか一行の「書」の代表にされてしまいました。ところが、「アモイ市長へのプレゼントに」と頼まれて書いた「一衣帯水」について、「書を書く時はもちろん意味も大事ですが、文字そのものビジュアル効果も常に意識しています。筆画の少ない『一』の字は崩し方が少なく、作品構成がとても難しく感じた」という意外な感想も。

 9日間の中国の旅を終え、CRI日本語部訪問を終え最後に贈ってくれた題字は念入りに書いた「和楽」でした。

 一体どのような思いをこの二文字に込めたのでしょうか。ほかにも、中国と日本とで、何故筆の持ち方に違いが生じたのか、好まれる法帖に違いがあるか、社会における書の位置づけや、書家の心構えにどのような違いを感じるのか、そして、「うまい字」と「良い字」との違いとは…様々な視点観点からお話を伺いました。

 中国の古いことわざに「千里(せんり)の行(こう)も足下(そっか)に始(はじ)まる」というものがあり、日本では「千里の道も一歩から」として親しまれています。

 生まれながらにして、「書」の旅を始めた川村さん。今回は「書」から見た中国と日本のつながりについて伺ってみました。

 【プロフィール】

 川村暢亨(かわむら のぶゆき)さん

 1982年 長野市生まれ
 二松學舎大学文学部卒業
 一般財団法人 驥山館 評議員
 読売書法会 評議員
 書道研究 璞社 幹事
 3歳より書道を習い、成人してから本格的に各種書道展へ出品する。現在は子供から一般初心者を対象に書道講師として活動中。

 <驥山館と中国とのつながり>

 書家・川村驥山や赤羽雲庭・小坂奇石らの書を収蔵する美術館。川村驥山が戦時中疎開をし、晩年を送った長野県長野市篠ノ井にあります。
 驥山は1901年(23歳)に初訪中。1941年、中国での永住を決意して、家族を連れて北京に移り住み、中国書道の研究に専念していましたが、翌年3月に太平洋戦争の影響でやむを得ず日本へ帰国。1945年、東京大空襲を避けて長野市へ疎開。その後は同市在住に。
 1961年には、巴金が団長を務め、謝冰心、劉白羽ら文学者からなる中国の文化人訪日団が川村驥山宅を訪問し交流。その翌年の5月に財団法人驥山館が開館。その後も現在に至るまで歴代館長が中国文化人との交流を続けています。

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