会員登録

「再生の大地」北京公演②~「撫順の奇跡は人間讃歌」

2015-09-06 18:35:37     cri    

 1950年、シベリアに抑留された67万人の日本人のうち、中国で罪を犯した969人の日本人戦犯がソ連から新中国へ引き渡され、撫順戦犯管理所に送られました。合唱組曲「再生の大地」は、軍国主義教育の下で他民族を蔑視し、当たり前のように人権や命を奪ってきた戦犯たちが、中国の寛大な人道主義政策の下で罪を認識するようになり、普通の人として再生・甦生し、「鬼から人へ」と変わっていくプロセスを描いています。

 組曲は、村人3000人余りが殺害されたことで知られる平頂山虐殺事件という日本軍が中国東北で侵した罪も取り上げ、日本の加害の歴史を伝えています。また、「罪を憎んで人を憎まず」、「戦犯といえども人間だ、人は必ず変わる」という中国の寛大政策や、日本軍に家族が殺された管理所職員の心の葛藤なども表現しています。

「再生の大地」合唱団は2011年に結成された後、これまですでに2回、撫順(ぶじゅん)や綏芬河(すいふんが)などを訪れています。今回も北京公演に先立ち、一部のメンバーが瀋陽、撫順の歴史遺跡を訪れ、現地の方々と交流を行いました。


8月30日、撫順郊外の平頂山虐殺記念館敷地内の慰霊碑


同記念館の資料展示コーナーで周学良館長の説明を聞く団員


8月29日、"九・一八"歴史博物館の広場で「前事不忘 後事之師」を歌う

 ところで、中国は撫順と太原の戦犯管理所に収容された日本人戦犯千人余りに対し、1956年、特別軍事法廷で起訴し、裁判にかけたのはわずか45人。残りは全員「起訴を免じて即時釈放」となりました。また、裁かれた45人も、死刑判決はなく、最高20年、最低8年の懲役しか言い渡されていません。これらの人も病死者1人を除き、1964年までに全員無事、日本に帰国しました。


蝋人形で裁判を再現している瀋陽特別軍事法廷陳列館

 帰国後、元戦犯たちは「中国帰還者連絡会」(「中帰連」)を組織し、冷戦の真っ只中にもかかわらず、「侵略戦争と加害の責任を自覚した平和と日中友好」を目指して献身的に活動してきました。姫田団長はこれについて、「人間の素晴らしさ、とりわけ日中両国の人々の間で織りなされた情理を併せ持った人間讃歌とも言うべき歴史事実」だと話しています。

 元戦争犯罪人の身に起きたこうした一連の変化は、「人類文明史上の奇跡」とも呼ばれています。2002年、「中帰連」はメンバーの高齢化のため解散を発表しましたが、その翌日、若い世代による「撫順の奇跡を受け継ぐ会」が発足しました。


戦犯たちが軍事法廷で跪いて謝罪する場面「再生の大地 曲8~再生の賛歌」

 つづくその1 その3 その4

関連ニュース
写真トピックス
コメント
今週の番組
今日熱点
快楽学唱中文歌
特集ダイジェスト
LINKS