日本の中小製造業の中国ビジネスをサポート
世界の工場として確固たる地位を確立している中国。が、日本の大手は中国ビジネスを展開しているものの、中小企業のほとんどが参入できていない。鄭剣豪氏が率いる剣豪集団はその架け橋として活躍をつづけている。さっそく、鄭氏のその取り組みについて聞いてみた。
鄭剣豪 1964年 中国浙江省寧波市生まれ。83年寧波を離れ北京にて大学就学。87年神戸大学留学。92年神戸大学院博士課程中退後、帰国。中国寧波にて剣豪実業(株)を創業。現在は北京、上海、香港、寧波、杭州、常熟、神戸などに法人を持ち、日中間の部品・資材調達、工業団地開発、コンサルティングなどの業務を展開している 取材は張国清北京放送東京支局長である。この取材内容は日本東方通信社の週間雑誌「コロンブス」2008年4月号に掲載されている。
張国清(北京放送東京支局長)神戸大学で学んだ後、一度は中国に帰国していますね。
鄭剣豪(剣豪集団代表取締役会長)そうです。大学(大学院)卒業後は中国に戻り、10年ほど中国で生活しました。当時は経済的にも中国は混乱期にありました。たとえば、私は北京で天安門事件も体験しました。時代の大きなウネリとともに、政府の怖さや自分の無力さを感じました。今になってみると、こういった経験ができて良かったと思います。やはり日中間で仕事をする以上、両国のことを知っておく必要がありますから。その点、私は日本にも中国にも長期間いるので、おおよそのことは理解できていると思います。
張 現在、鄭さんは中国に進出する日本の中小製造業の支援を行っていますが、どのようなキッカケではじめられたのですか。
鄭 私は帰国後、どういう仕事をしようかと迷った結果、92年に北京でレストランをオープンしたのです。が、すぐに経営に失敗して、故郷の寧波に帰ることになりました。そのとき、寧波である日本企業の人間に出会ったのです。彼は私にひとつのネジを見せて「このネジを中国でつくることはできるか」と聞いてきました。そのネジは鋳物製品だったのですが、そのときに私は初めて鋳物という言葉を知ったのです。と同時に、中国で日本製品の部品をつくるというビジネスモデルに無限の可能性を感じたのです。そこで、寧波に剣豪実業という会社を立ち上げて、日本の中小企業のサポートを展開することにしたのです。
張 ふたたび日本に来るようになったのは、いつ頃からですか。
鄭 2000年に日本法人の剣豪集団(株)を立ち上げてからは、中国と日本を頻繁に往き来するようになりました。この日本法人のほか、私はこれまで20年かけて、1年に1社というハイペースで会社を設立してきました。おかげで、剣豪グループはいまや14社になりました。それぞれの会社はまだまだ小規模ですが、十分に価値のあるビジネスを担っていると思います。
張 具体的にはどのような仕事を行っているのですか。
鄭 日本の中小製造業が中国でビジネスをする場合、さまざまな問題が生じます。というのは、今の中国は30数年前の日本と同じような経済状態だからです。いくら発展したとはいえ、依然として発展途上にあることに変わりはありません。現に、中国人の大半はまだ農業を営んでいます。工業化が進んでいるのは、沿海部の一部の地域だけです。そんな一部の成金を見て、中国が発展したというのは間違いです。
そのため、中国でビジネスを展開するには、多大なリスクが生じます。たとえば、工業団地に入居するだけでも、管轄する人民政府との調整、税金問題など、さまざまな問題が生じるはずです。そこで、当初は資材調達だけを行っていましたが、今は全般的なサポートを展開しています。たとえば、物流、検品、試作、工業団地開発、人材派遣、会計処理、貿易、リサイクルといった分野で、中小企業をサポートするようになりました。もちろん、これからは製造だけでなく、中国をマーケットと見る傾向も強くなってきているので、販売やマーケットに関するサポートも強化していきたいと考えています。
張 これから中国でビジネスを展開しようとしている中小企業に、いいアドバイスはありますか。
鄭 今の中国の若者は高い起業意欲を持っています。というのは、社会全体が過渡期を迎えており、アチコチにビジネスチャンスが転がっているからです。日本も明治~昭和初期まではそういう時代だったと思います。ですから、長い期間雇用したいと思うなら、女性の従業員を大切にするといいでしょう。男性はすぐに会社を辞めて、独立してしまう傾向がありますから。
学校、ファンドなど幅広い分野で交流を促進
張 ところで、鄭さんは日中両国に精通していますが、日中間ではとくにどのような点が違うと思いますか。
鄭 ナントいってもモノづくりの力です。素材、部品メーカーの実力を比較すると、天と地ほどの違いがあります。だからこそ、もっと日本企業に中国に来てもらいたいと思っています。モノづくりは世界共通言語です。実際、素晴らしい日本のモノづくりは、多くの中国人を感動させています。日本のモノづくりを理解してもらえれば、中国人は純粋に日本人のことを尊敬するようになるでしょう。現に、中国で尊敬されている日本人の多くは、モノづくりに関係している人たちです。工場長や製造課長、製造部長といった人たちが尊敬されているのです。日中関係を良好なものにするには、こうした民間同士の交流が重要だと思います。ですから、日本には約70万社の中小製造業がありますが、私はその1割の7万社程度は、中国に進出してもらいたいと考えています。
また、言論の自由という側面でも中国は遅れています。たとえば、先日のチベット問題に関して、私が日本語でブログに意見を書いたところ、多くの日本人からコメントが寄せられました。その内容は非難から賛同までさまざまです。もちろん、非難されるのは辛いことですが、それ以上にこれだけイロイロな発言が飛び交うことに感動を覚えました。中国もはやくそういう状況になってほしいと思います。そのためにも、中国はGDPを上げて、教育水準を高め、貧富の差をなくしていかなければならないでしょう。
張 昨年には北京に学校を設立したそうですね。
鄭 友人たちと協力して、北京に設立しました。現在、日本語や日本のマナーを教育するプログラムを用意しています。来年には数百名ほどの学生数になると思います。ここから日本に優秀な留学生たちを、輩出していきたいと考えています。よく思うのですが、私だってヒョッとすると、寧波でいまだに農業をやっていたかもしれないのです。たまたま勉強する環境を与えてもらえたから、こうして日中間を飛び回ることができているだけなのです。ですから、そういったチャンスをもっと増やしていくべきだと思うのです。
張 今後はどのように事業展開していくつもりですか。
鄭 今年、日本でファンドを設立したいと思っています。そして、その資金を使って、日中の架け橋になるような会社を応援していきたいと考えています。また、私は日中再生資源協会の会長も務めています。日本の工場で発生する再生資源を中国で再生するという活動を展開しています。これからはますます重要になってくる活動だと思います。あとは、いつかメディアを立ち上げたいという思いもあります。実は、以前に私は雑誌などを発行していた経験があるのです。そのときのノウハウで、日中両国に有意義な情報を発信できればと考えています。
張 これからも精力的に日本の中小製造業を応援してください。本日はありがとうございました。
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