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岡崎嘉平太の精神を継承して「空の便」で日中間をつなぎたい!!
   2008-01-22 10:52:18    cri

 北京オリンピックや上海万博を控え、日中間の航空路線はますます元気になっている。とりわけ中国路線開設20周年を迎えた全日空は絶好調だ。そこで、今号では全日空の中国路線を牽引してきた朱金諾氏にその原動力について聞いてみた。

 朱金諾(しゅ・きんだく ジュー・ジンヌオ)1955年、中国山東省曲阜市生まれ。77年北京外国語大学卒業、同年中国旅行遊覧事業管理局日本処勤務。84年中国国家観光局東京事務所駐在代表。87年中国国際旅行社総社日本課長。89年中国国際旅行総社日本支社設立準備のため、東方旅行社に出向、営業部長、取締役営業本部長を歴任。92年(株)東方旅行社はCITS JAPAN(株)に社名変更、取締役副社長に就任、大阪支店、福岡支店を開設。97年5月同社退職。同年6月全日本空輸(株)に就職、東京支店法人販売部課長。98年販売本部国際販売推進部主席部員(中国路線担当)。05年より営業推進本部営業戦略部担当部長と中国室部長を兼務している 。

 取材は、張国清北京放送中国国際放送東京支局長である。この記事は、東方通信社の週間雑誌「コロンブス」12月号に掲載されています。

岡崎嘉平太との出会いが 人生を変えた

張:朱さんは北京外国語大学の出身だそうですが、大学に行くまではどのような生活をしていたのですか。

朱:私が大学に行く直前、中国は文化大革命の真っ只中でした。国の経済は麻痺し、毛沢東主席の大号令で、当時の学生たちは農山村への下放を余儀なくされたのです。もちろん、私も内モンゴルへ下放され4年近く見ず知らずの土地で生活することになりました。しかも、昼夜間の気温差が激しく、寒いときはマイナス30度になるほどでした。そのうえ、政局が不安定で、自分自身の将来にも不安を感じていました。だから、夜になるとその不安を払うかのように、いろんな本を読み漁りました。とにかく勉強することで、自分の道を切り拓こうと考えたのです。このときの努力が実ったのか、私は何とか推薦を受けて、大学に行くことができたのです。思うように進学すらできない激動の時代だったので、とても幸運に恵まれたと思っています。

張:北京外国語大学では日本語を専攻したのですか。

朱:そうです。当時の中国では、すべて計画経済で、国が個人の進路を決定するのが一般的でした。そのため、私も自分の意思とは関係なく日本語を学ぶことになったのです。下放先では英語の勉強に励んでいたので、正直いって入学のときは、少しガッカリしました。とはいえ、結果的には日本語を学ぶことができてとても良かったと思っています。このときの勉強のおかげで、今の自分があるわけですから。

張:その後、どこに勤めたのですか。

朱:中国旅遊事業管理総局(今の中国国家旅遊局)に勤めることになりました。そして、訪中する日本の友好団体や友好人士の通訳を担当することになったのです。当時は文革直後ということもあって、一般の観光客はほとんどいませんでした。中国にやって来る方は、政治関係者、日中友好協会全国本部派遣の友好団体などが多かったと思います。

張:そのときに、今の勤務先である全日空の岡崎嘉平太氏(元全日空社長)と知り合ったそうですね。

朱:岡崎嘉平太先生との出会いが私の人生を大きく変えました。岡崎先生は日中国交正常化のために、大きな貢献をなされた功労者です。62年には松村謙三先生、高碕達之助先生とともに訪中し、LT貿易協定を締結したことでも知られています。日中国交正常化の直後、周恩来総理から「水を飲むとき、井戸を掘った人を忘れない」という言葉を引用して、特別招待を受けるなど、まさに日中友好の架け橋というべき人物でした。私は「岡崎訪中団」の担当として、長年、先生の通訳を務めていました。岡崎先生は89年にお亡くなりになるまで100回近くも訪中しましたが、私はそのうち30数回は同行できました。この経験は私にとって、かけがえのない財産となりました。そして、そのご縁ケで10年前に、全日空の当時の役員から「全日空で働かないか」とお声がけいただいたのです。ちょうど日本の企業で勉強したいという思いがあったので、全日空への入社を決意したのです。

張:全日空に入社してみて、日本と中国の組織はどのように違うと感じましたか。

朱:私が思うに、日本は組織を重んじますが、中国人は個人を重んじます。これが最大の違いだと思います。これは実にいい勉強になりました。日本の高度経済成長を支えたのは、まさにこの日本的経営、組織力だったと思います。ただし、一般的には中国人は個人プレーを重視するので、日本の組織のあり方を理解できない人も多いかもしれません。私は日本の風土を理解しようと努力したので、日本企業のなかに溶け込むことができました。 自身の経験を生かして 後進の指導に努める

張:全日空は中国路線の拡大に成功しましたが、やはり朱さんの働きが大きかったのでしょうか。

朱:いいえ、私はサポートしただけです。個人の力には限度があります。私は「企業参謀」という言葉が好きです。経営陣に正確な情報を提供し日中の違いを明確にアドバイスするのは自分の役割だと考えています。岡崎先生をはじめ、今の全日空の経営陣、そして会社全体が中国路線に力を入れたおかげで、路線拡大を達成できたと思っています。

張:最近は社員教育にも積極的に取り組んでいるそうですが、そのあたりについてお聞かせください。

朱:今の若い社員はあまり岡崎先生と全日空、そして日中関係について知りません。そこで、今年は中国路線就航20周年ということで、社内啓発活動を行なっています。自分が知っている岡崎先生のことや日中友好の歴史について、社員たちにレクチャーしているのです。全日空は中国と縁が深い会社ですから、何よりも蕫岡崎嘉平太の精神?を大切にする必要があると思うのです。

張:今年は全日空の中国路線開通20周年だそうですね。

朱:おかげさまで香港を入れると、中国10都市と20路線を結ぶまでになりました。便数は貨物便を含めると週に188便に上ります。中国路線就航20周年を記念して、ボーイング767型機をパンダ柄に特別に塗装し、「FLY!パンダ」としてフライトさせたりしました。客室乗務員のエプロンや機内のコップなどにもパンダのキャラクターをプリントしています。  

また、今年は日中国交正常化35周年の年でもあり、「日中文化・スポーツ交流年」でもあります。そこで、当社では積極的に35周年イベントなどの支援を行っています。神戸で開催された「第九回世界華商大会」にはメインスポンサーとして協賛しましたし、東方通信社が事務局を務めている「日中友好の声日本語中国語弁論大会」、北京で開催された「ANA北京国際マラソン」にも協賛しました。こういった日中友好につながるイベントには積極的に協力していきたいと考えています。

張:日中間の旅行者数を見てみると、近いうちに500万人を突破する勢いになっています。が、依然として中国から日本を訪れる観光客は少ないようです。どういったところに問題があるのでしょうか。

朱:やはりビザの問題がネックになっていると思います。日本からはビザがなくてもカンタンに中国に行けますが、中国から日本に行く場合はいまだに団体ビザが必要ですからね。これさえ解決すれば、中国からの観光客数は伸びると考えられます。近い将来、中国からの訪日観光客が一層増えると信じています。 張:日中友好を促進するためにも、全日空のような会社の存在は不可欠だと思います。これからも日中間の?空の便?を支えてください。本日はありがとうございました。

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