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張一帆
1956年上海生まれ。長年、ジャーナリストとして活躍した後、88年来日。96年上智大学新聞学博士課程修了。現在、「月刊中国NEWS」「聴く中国語」「読む中国語世界」編集長。主な著書に「世紀末的選択」など
「中国語を学びたい」「中国の最新の話題を手に入れたい」?。そんな中国ファンのニーズに応えてくれる出版社がある。張一帆さんが代表を務める日中通信社(東京都練馬区)だ。さっそく張さんの半生を追いながら、現在の取り組みを紹介したい。
取材は張国清北京放送東京支局長である。この取材内容は日本東方通信社の週間雑誌「コロンブス」2007年10月号に掲載されている。
取材を通じて 日本を身近に感じるように
張国清:来日するまではどのような仕事をしていたのですか。
張一帆:もともと私は上海の大手新聞社で記者をしていました。とくに、80年代後半は編集長直轄の遊軍として、中国・上海周辺(長江デルタ地域)の緊急ニュースの取材にあたっていました。改革解放当時、外国からの要人や企業トップの訪中も多く、もちろん、日本人の取材も数多くこなしました。ですが、日本語での取材には苦戦することがありました。というのは、当時の私は日本語を話すことができなかったからです。そのため、通訳とのやりとりが必要になり、実質半分くらいの時間しか取材に専念することができないのです。それでも、仕事は精力的にこなしていました。1日1万字近く原稿を仕上げることも多く、ですから、取材・執筆では誰にも負ける気がしません。
張国清:取材を通して日本に対するイメージは変わりましたか。
張一帆:中国にいた頃は、日本人のイメージは「ちょんまげ」「サムライ」といったものでした。それに、過去の戦争のイメージもあるので、けっしていい印象を持つことができませんでした。ですが、日本で取材をつづけるうちに、日本や日本人に対するイメージが変わってきました。というのは、取材してみると、日本人はみんなニコニコしていて、とても親切だったからです。おかげで、しだいに日本に対する興味が強くなってきました。
張国清:その興味が来日するキッカケになったのですか。
張一帆:その通りです。こうして日本への興味が強くなった私は、職場に1年間の休職を申し出て、88年に日本に留学することにしたのです。そして、実際に日本で生活して、より深く日本の文化や性質に接してみようと考えたのです。
張国清:最初は日本語学校に通ったわけですか。
張一帆:もちろんです。来日してすぐに日本語学校に通って、日本語の勉強をはじめました。だいたい半年で日本語を習得することができたので、上智大学大学院でジャーナリズムの研究をすることにしました。その後、先生の薦めもあって、博士課程後期まで上智大学で学ぶことになりました。そうこうしているうちに、私はしだいに日本で出版の仕事をしていきたいと、思うようになったのです。そこで、95年に日中通信社を設立することにしたのです。 幅広いジャンルの雑誌を 日本で発行しつづける
張国清:日中通信社ではどういった出版物を発行しているのですか。
張一帆:私たちは語学、エンターテインメント、歴史・文化、経済ニュースなどを切り口にした雑誌を発行しています。語学については「読む中国語世界」「月刊聴く中国語」「聴く唐詩三十首」「歌って覚える中国語シリーズ」などのテキストを発行しています。いずれもCD付きになっており、生の中国語を聴きながら学習できるようになっています。中国の著作物を大量に使用しているので、著作権の許可を取得するのが大変でした。制作費がどうしてもかさんでしまいますしね。
そして、これと同時に「聴く西遊記」や「聴く三国志」といったシリーズも発行しています。できるだけ中国語を身近に感じてほしいという思いから、日本人がよく知っている物語や詩を読んだり、聞いたりしながら中国語を学んでもらおうというわけです。
そのほか、中国のエンターテインメント情報については「チャイニーズスター」、歴史文化については「天空紀行」というムックを発行しています。先日、この「天空紀行」で06年7月に開通したチベットの「青蔵鉄道」を特集してみたのですが、これは見事にヒットしました。やはりチベットは聖地という印象もあって、多くの旅行ファンが興味を持ってくれたようです。チベットに出かけた人やチベットに出かける前の人たちが、購入してくれたのです。おかげで、大型書店でも人目につきやすい場所に置いてもらうことができ、在庫はほとんど残っていません。
張国清:天空紀行を見てみると、写真中心の構成になっていますが、この写真は日中通信社のスタッフが撮影したのですか。
張一帆:現地のカメラマンが撮っています。現在、チベットの史跡などでは写真撮影が禁じられているので、掲載している写真は政府や報道機関などから借りたものもあります。どれもなかなか見ることができない貴重な写真ばかりです。そのあたりも人気のひとつになったのかもしれません。
張国清:先日、新しい雑誌を発行しはじめたそうですね。
張一帆:「月刊中国NEWS」という雑誌を今年の夏から発行しはじめました。これは雑誌「中国新聞週刊」(発行:中国新聞社)の日本語版で、同雑誌のなかの記事を厳選して日本語に翻訳したものです。中国の時事ニュースや話題を中心に集めています。とはいえ、たんに翻訳するだけでは日本の読者の心を掴むことができません。たとえば、意味のわからない固有名詞があると、読者はすぐに読むのをやめてしまいます。そこで、日本人が聞きなれない固有名詞については、キチンと解説をつけるように心がけて編集しています。
張国清:現在、日中通信社には何名のスタッフがいるのですか。
張一帆:正社員は23名、そのほか外部スタッフとして50名くらいが参加しています。それでも人数が足りないくらいです。ちなみに、社員の半数は日本人です。
張国清:今も張さんが原稿を書くことはあるのですか。
張一帆:来日して最初の10年間は原稿を書いていましたが、それ以降は原稿を書かないことにしました。会社の経営に力を入れることにしたのです。というのも、会社は設立以降、順調に大きくなっていき、社員数も増えていったからです。私がキチンとした経営を行わなければ、彼らの生活を保障することができませんからね。
張国清:もう中国に戻ろうとは思いませんか。
張一帆:今は中国に戻りたいとは思いません。それに、私はこの仕事を楽しんでいます。これからは中国のことを日本で紹介するだけでなく、中国で日本のことを正確に紹介しなければならないと思います。
張国清:これからもメディアとして、ともに日中友好に努めていきましょう。
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