北京から汽車で1時間、天津市南開区には視覚障害者のための日本語学校があります。創立は1995年、今年で12年目を迎えました。現在、およそ220名の学生が、日本語や日本文化、礼儀作法などを学んでいます。
この学校の創設者は、青木陽子さんという日本人女性です。今年46歳の青木さんは、6歳のときに予防接種の後遺症で失明してしまいました。しかし、教育の仕事に興味があり、筑波大学付属盲学校や南山大学を経て、アメリカへ留学しました。青木さんは教育学を専攻し、教師の仕事にあこがれるようになります。そんななか、「21世紀はアジアの時代、中国の時代。中国社会の発展に貢献したい。中国社会に貢献できる人材を育てたい」と思い立ち、1993年、はじめて中国へわたりました。
まずは、中国語を学ぶために、天津外国語学院へ2年間留学しました。その後、中国語の点字もマスターして、学校設立のための準備を進めます。そして、1995年に開校となるわけですが、自分と同じように目が見えない若者たちに夢をもってほしいと、あえて「視覚障害者のための日本語学校」にしました。
私が取材にお邪魔したこの日は、日本語学習歴3年の人を対象にした読解の授業が行われていました。日本で出版されている本を教材に、それを声に出して読んだり、単語や文法について学んだりしていました。生徒のみなさんには、日本語の点字で書かれたプリントがあらかじめ配られていて、それを指で読みながら勉強していました。また、生徒の机には、点字をうつタイプライターのようなものが置かれていて、みなさんメモを取りながら、一生懸命授業に参加していました。
また、この学校ではボランティア制度を導入しています。授業のお手伝いで、現在30人ほどのボランティアが在籍しています。日本語を学んでいる大学生などが、点字の翻訳などに携わっています。この学校では、ボランティアのみなさんにも授業を開放していて、障害者といっしょに日本語を学ぶこともできます。お互いに助け合いながらいっしょに勉強している姿が、すごく印象的でした。
この学校の取り組みは高く評価されています。2001年には、中国政府から、中国に貢献した外国人に贈られる最高の名誉「中国友誼賞」を受賞しました。また、日本でも、2004年、「毎日国際交流賞」を受賞しています。
「日本語を学ぶことで、人生が開けた」。学生たちはそう、口々に話してくれました。なかには、青木さんのチャレンジ精神に見習って、日本へ留学したり、日本で就職したりする人も少なくありません。
青木さんは学校運営以外にも、カラオケ大会や卓球大会などを企画して、視覚障害者と健常者、そして、中国人と日本人の交流をますます促していきたいと話していました。青木さんの夢が、大きく実を結ぶよう、お祈りします。
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