調和の象徴 「囲碁」で平和を
"呉清源"という名を聞き、反射的に「囲碁の神様!」と目を輝かせる日本人はどれだけいることだろう。大手書店には棚を埋めるほどその著作が並び、ネットでは「呉清源デラックス」、「21世紀の碁」などのパソコン・ソフトが次々と売り出されている。日本人が最も敬愛し、その偉業を讃える中国人を一人挙げるとしたら、間違いなく呉清源さんである。
取材の場所は四ツ谷のスタジオだった。呉清源さんは現在92歳だが、今も囲碁の教習ビデオの収録に応じている。スタジオには石が碁盤を打つ音と、それに解説を加える少し甲高い声が響いていた。
1914年、呉清源さんは福建省・福州で誕生した。初めて碁石を握ったのは7歳の頃。日本への留学経験のある父、呉毅氏が持ち帰った棋譜を片手に学んだ。ところが囲碁をすすめた父は肺病を患い死去。そこで呉清源さんは賞品をかけて棋士が対局する碁会所に通うことになった。母と5人の兄弟姉妹を支えるため、わずか11歳の少年は碁盤に向かったのだった。そして連戦連勝を収めたこの少年は瞬く間に周囲の注目を集め、日本に招かれることとなった。
だが1937年、ついに日中戦争が始まった。日本では敵国である中国人に対するバッシングが激しくなったが、呉清源さんは「囲碁で日中親善を」という使命を果たすために、あえて日本に残り昇段を重ねていた。28歳の時に日本人女性の和子さんと結婚。「いつか両国は戦争を終え、日中親善が必要な時代になる。その時のために役立ちたい」、それが和子さんの決意だった。米軍による東京大空襲では家やすべての財産を失ったが、その2年後には、再び対局を開始。日本の棋士をことごとく破り、ついに1958年、「日本最強決定戦」で優勝、昭和最強の棋士となった。
それからおよそ半世紀。上海の福旦大学やバルセロナで「呉清源杯」等が開催されるなど、世界に冠たる偉業は今なお色あせることはない。自ら育てた中国人棋士のゼイ乃偉さんは、現在女流棋士の中で世界最強となっており、また集大成である「21世紀の碁」の研究・執筆にも精力を注いでいる。
「20世紀は戦争の時代であったが、21世紀は世界の国々が食料や資源を分かち合う、平和の時代であって欲しい」、呉清源さんは同じ言葉を繰り返す。それを訴えるため、招待を受ければ90歳を越えた今でも海外に赴く。白と黒の碁石を用い、自分の必要なものを得ながら、同時にも相手にも与えることで成立する囲碁。"調和すること"を知るこの囲碁を通して世界平和を伝えていきたい、それが戦争に翻弄されながも碁石を手放さなかった呉清源さんの信念である。 (日中メディア研究会 満永 いずみ)
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